FC2ブログ
ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

2021/031234567891011121314151617181920212223242526272829302021/05

さくら市・龍光寺。その1

=== 案内板より ===
十一面観世音菩薩像
龍光寺本堂内に安置されている木造立像で蓮台共に四尺六寸、
恵心僧都の作と伝えられている。
元禄15年(1702)3月の文書によれば、
足利家は、喜連川東町に富景山臨川寺を建立して
十一面観世音菩薩を安置して領民の宗教的安心を祈念された。

さくら市・龍光寺。その3 さくら市・龍光寺。その4

しかし明治になって廃仏棄釈の禍にあい臨川寺は廃寺となり、
十一面観世音菩薩は龍光寺に移転安置された。
云々。。。


さくら市・龍光寺。その2

というわけでやって参りました「龍光寺」。
足利家に御縁のあるお寺さんです。

正確には、やって参りました、と言うより、
偶然近くを通りかかって寄って見た、という感じです。
in さくら市。


[足利家歴代の墓所。 [龍光寺*さくら市]]の続きを読む
早乙女古戦場 その4

温泉に向かう途中、
偶然に見つけた小さな看板。。。
古戦場?戦が行われたとこ?

「早乙女古戦場跡」です!


早乙女古戦場 その1

=== 案内板より ===
古戦場
天文18年(1549)、那須氏、喜連川塩谷氏500余騎と
宇都宮尚綱率いる宇都宮軍2000余騎とが戦った古戦場で、
激戦の末宇都宮軍は喜連川軍の鮎瀬弥五郎実光に
背後から大将の尚綱が射たれ退散したといわれています。
云々。。。


小さなお堂の中に。。。


早乙女古戦場 その2

石塔がひとつ。。。


===
早乙女坂古戦場の跡
早乙女坂は、下野国の北部(塩谷・那須)と中央部の接点にあり、
戦国時代に、下野一円の領国経営を望む宇都宮氏にとって、
早乙女坂を抜き喜連川を治めることは、
北部支配への橋頭ほ(堡)を確保する上で最も重要な課題であった。


[早乙女古戦場に参る。。。♪  ★さくら市]の続きを読む
さくら市ミュージアムと勝山城跡 5

おいおい!なんでこんなトコロに
レンガの塊があるんだい?!
なぁんだ★
「明治時代の鬼怒川橋梁」だよ、これ。

って。
すぐに判るわけないですよねー。

[「さくら市ミュージアム」と「勝山城跡」・・・おまけ  ★明治時代の鬼怒川橋梁]の続きを読む
さくら市にある「さくら市ミュージアム」にやって参りました。
「荒井寛方記念館」や「歴史展示室」、「美術・企画展示室」など、
いくつかのブースからなる博物館です。

さくら市ミュージアムと勝山城跡 1

さくら市周辺の文化遺産、歴史などを
模型を使って再現、展示しています。
意外にオモシロイんです♪

荒井寛方記念館では、仏画家として活躍した
代表作である「鬼子母」の絵に圧倒されます。

さくら市ミュージアムと勝山城跡 2

こちらは同じ敷地内にある「民家広場」。
「長屋門」、「江戸時代住居」、「板倉」が
移築、再現されています。

さくら市ミュージアムと勝山城跡 3

=== 案内板より ===
旧大島家住宅
規模は小さいが、江戸時代中期の村役人の住居である。
近年まで使用され、床の間付きの畳の間があり、
板戸で生活の場である板の間と仕切られ、さらに
勝手場兼農作業場の広い土間がある。
正面の軒は長く張り出しており、それを支えるための外柱がある。
外縁や大黒柱はなく、古い民家の形を留めている。
矢板市塩田より移築。
云々。。。

さくら市ミュージアムと勝山城跡 4

===
旧森家長屋門
長屋門は長屋の中央に出入口を設けたもので、
両側は物置や隠居屋などに利用された。
本来、武家屋敷のものだが、近世以降、名主・組頭など
村役人格に許されるようになり、さらに明治以降は
家格に関係なく建てられるようになった。
この長屋門は喜連川町鹿子畑から移築したもので、
天保年間の建造と推定されている。
云々。。。

[「さくら市ミュージアム」と「勝山城跡」  ★さくら市]の続きを読む