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ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

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薮塚本町歴史民俗資料館 その2。[太田市]
平瓦(格子文) 8世紀中葉 太田市藪塚町 台之原廃寺出土

薮塚本町歴史民俗資料館 その2。[太田市] 薮塚本町歴史民俗資料館 その2。[太田市]
軒丸瓦 7世紀末~8世紀前半 太田市寺井町 寺井廃寺出土

前回に続いて「薮塚本町歴史民俗資料館」の記事であります。
in 太田市。


=== 案内板より ===
~古代寺院~
古代新田郡には寺井廃寺のほか、台之原廃寺、釣堂廃寺、
東矢島廃寺といったお寺があったと想定されています。
しかし調査があまり進んでいないため、
これら廃寺の全容については明らかではありません。
新田郡家跡の北東に想定される寺井廃寺では、
7世紀後半~10世紀代までの古代瓦が出土していますが、
寺の範囲や建物の配置などはわかっていません。
一方、新田郡家跡の北西に想定される台之原廃寺では基壇が確認され、
8世紀半ば~後半の古代瓦などが出土していますが、
寺の全容についてはわかっていません。
これらの古代寺院がどんな寺であったか、明らかになる日が来るといいですね。
云々。。。



薮塚本町歴史民俗資料館 その2。[太田市]
円面硯(模造品)
円面硯(須恵器の硯) 7世紀後半~9世紀 太田市吉沢町 丸山北窯跡出土



===
~円面硯(えんめんけん)~
古代の役所跡の発掘調査では、
集落遺跡などに比べると出土遺物の全体量は多くありませんが、
文具関係の遺物が出土することがあります。
例えば須恵器で作られた円形の陸を持つ硯(円面硯)は、
文書をあつかうことが多い役所の遺跡ならではの遺物であるといえます。
当時、紙が普及する前は短冊状の木の板(木簡)に文章をしたためていました。
新田郡家では木簡は見つかっていませんが、円面硯の破片が出土しています。
云々。。。



薮塚本町歴史民俗資料館 その2。[太田市]

薮塚本町歴史民俗資料館 その2。[太田市]
新田郡家跡全体模式図


===
~上野国新田郡家跡~
新田郡家跡は現在の太田市天良町・新田小金井町にあった、
7世紀後半~9世紀代の上野国新田郡の役所跡(郡家(ぐうけ)・
郡衙(ぐんが)とも呼ぶ)です。
これまでの発掘調査で、郡庁や正倉院が確認されました。
政務を執り行っていた郡庁は、「庁屋(正殿)」を中央やや北寄りに配置し、
東西南北を長屋建物が「口」の字状に囲む構造であったことがわかりました。
一方、正倉院は幅約5mの外周区画溝(堀)によって囲まれた、
東西270~500m、南北240~300mの広大な平面台形状の区画の中に、
税として徴収した稲などを保管するための倉(正倉)などの
建物が建ち並んでいたことがわかりました。
現在、郡庁域と北西部正倉域が国の史跡指定を受けています。
云々。。。



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薮塚本町歴史民俗資料館。[太田市]

太田市藪塚にある「歴史民俗資料館」にやって参りました。
温泉街の中にある小さな博物館です。
入館料100円を支払って、ではでは。



薮塚本町歴史民俗資料館。[太田市]

群馬県内では珍しいという「陶棺」、
先ほどの「三島神社」から出土したという「子持勾玉」が
出迎えてくれます。



薮塚本町歴史民俗資料館。[太田市]

そして、こちらの資料館の目玉と言えば、
やはり「石田川式土器」ではないでしょうか?

↓この遺跡から出土した土器類です。
石田川遺跡。[太田市]



薮塚本町歴史民俗資料館。[太田市]

=== 案内板より ===
移住する
石田川式土器は、昭和22・24(1947・1949)年のカスリーン台風・
キティ台風後の治水対策として、昭和27(1952)年に
石田川・米沢川で実施された堤防構築工事のときに発見されました。
群馬大学尾崎喜左雄教授の指導のもと、群馬大学史学科学生であった
松島榮二氏や、当時藪塚温泉の今井旅館の経営者であった
今井新次氏によって調査が進められました。
これらはその時に出土した土器です。

その後、これらの土器は北関東地域における古墳時代前期の指標として
考古学研究上、特筆すべき資料であると位置づけられました。
また、この土器群の関東地方における分布状況から、
東海地方西部からのヒトの移住といったようなことも含めた
文化の伝播が想定されるようになりました。
云々。。。



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埼玉県立嵐山史跡の博物館。[埼玉県比企郡]

埼玉県の嵐山町です。
埼玉県立嵐山史跡の博物館」にやって参りました。
菅谷館跡の一画に建てられた博物館です。


=== 案内板より ===
菅谷館跡
比企郡嵐山町大字菅谷に所在する多郭式の平城で、
鎌倉街道に面する台地の縁に築かれています。
鎌倉時代のはじめ、北武蔵の有力豪族畠山重忠(はたけやましげただ)
の居館になったと伝えられていますが、
重忠の死後は、わずかな文献に名を記されるだけです。
この館は、その後数度にわたる郭の拡張を経て、
戦国時代には、現在の姿に整えられたものと考えられます。
1973年(昭和48)、武蔵武士の館に起源をもつ中世城郭の遺跡として、
国の史跡に指定されました。
云々。。。



埼玉県立嵐山史跡の博物館。[埼玉県比企郡]

===
畠山重忠
畠山重忠は、1164年(長寛2)大里郡川本町の畠山に生まれました。
父は畠山重能、母は相模の三浦義明の娘です。
1180年(治承4)、源頼朝が挙兵すると、まもなく頼朝に仕え、
鎌倉入りや富士川の合戦では先陣をつとめ、
宇治川や一の谷の合戦などで活躍しました。
頼朝の死後も、御家人として幕府を支えましたが、
1205年(元久2)、幕府内部の勢力争いにまき込まれ、
二俣川(横浜市旭区)で非業の死を遂げました。
云々。。。


そうなんです、この方、畠山重忠さん。
鎌倉時代初期の武将です。

以前訪れた「妻沼聖天山」を創建したと云う斉藤実盛さん。
斎藤さんをチェックしたいたら出てきた畠山氏。
そんな繋がりを追って来たみた博物館です。



埼玉県立嵐山史跡の博物館。[埼玉県比企郡]

===
畠山重忠の墓と伝える五輪塔
この五輪塔は重忠が再興したといわれる満福寺(深谷市畠山)に一度移され、
後に現在の場所に戻されたといいます。
塔の下から蔵骨器(骨壺)が発見されました。
云々。。。



埼玉県立嵐山史跡の博物館。[埼玉県比企郡]

菅谷館エリアの資料の展示。
「秩父氏の本拠・嵐山町」と「大蔵館跡周辺の字名」の解説。



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智恵子の生家。[福島県二本松市]

「ウルトラマン ティガ」さん!いらっしゃいました~♪
そうです、東北自動車道「安達太良SA」です。

思い立ったら吉日、福島に行ってこよー!
というわけで、ひとっ走り (=゚ω゚)ノ



智恵子の生家。[福島県二本松市]

着きましたー☆
こちら「智恵子の生家」。in 二本松市。

智恵子さんとは、「智恵子抄」で有名な高村光太郎さんの奥様。
ご実家は福島だったのでねー。
それも造り酒屋さん♪
建物には「花霞」という酒名が掲げられています。



智恵子の生家。[福島県二本松市]

さすか酒蔵さんです、酒樽がいくつも並んでいます。
どんなお酒造ってたのかなー。



智恵子の生家。[福島県二本松市]

こちらは智恵子さんが使っていたという「琴」です。

=== 案内より ===

智恵子が少女時代に使用した琴です。
琴の裏側には、長沼ちゑ用と名前が墨字で明記してあります。
昭和4年7月長沼家が倒産した折、人手に渡り保存されていたもので、
弦が切れていたりしたため弾ける状態に修理してあります。
云々。。。



智恵子の生家。[福島県二本松市]

「帳場」。



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前橋市総社歴史資料館。[前橋市]

前橋市総社歴史資料館」です。

宝塔山古墳と蛇穴山古墳のちょうど間にあります。
以前よりチェックしていた博物館なんです。
ようやく来れた~♪



前橋市総社歴史資料館。[前橋市]

入口よりすぐに、「遠見山古墳の形象埴輪」、


前橋市総社歴史資料館。[前橋市] 前橋市総社歴史資料館。[前橋市]
(写真はクリックで大きくなります。)

「遠見山古墳の円筒埴輪」等(左)、
「舞台1号墳の石製模造品」と「供物を乗せた高坏」、



前橋市総社歴史資料館。[前橋市]

保渡田八幡塚古墳、遠見山古墳、舞台1号墳の、出土品が展示されています。

その奥に、
「山王廃寺 塔心礎」の模型です。
壁面に張り付いていますねーっ(笑
実物大でしょうか?かなりの大きさです (=゚ω゚)ノ



前橋市総社歴史資料館。[前橋市]

そしてこちらは、先ほど見てきた「宝塔山古墳」の石室の模型。

正面から「羨道」。



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