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ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

2021/031234567891011121314151617181920212223242526272829302021/05

炭火だいにんぐ 燈。[太田市]

今夜のディナーは「炭火だいにんぐ 燈」さんにて。
太田市にある焼き肉屋さんです。

焼き肉と聞いただけでテンション上がりますデス、ハイ (=゚ω゚)ノ



炭火だいにんぐ 燈。[太田市]

先ずはハイボール、そしてお野菜からスタート。
「燈サラダ」です。

ごまドレッシングの和風なサラダ。
無農薬野菜がテンコ盛りです。
お酒を嗜みますから野菜はたくさん摂りましょう。



炭火だいにんぐ 燈。[太田市]

「玉子スープ」。ハーフバージョン。
ふんわり玉子で、やさしいお味。
汁モノもオツマミなのは言うまでもありません。

ハイボールの後は、麦焼酎「山猿」をロックでいただきます。
ボディのある麦がすごく良く合う。



炭火だいにんぐ 燈。[太田市]

お待たせ致しました、「肉もり」です★
おススメ牛肉の盛り合わせ。
カルビ、ハラミ、ランプ、インサイドカルビ、かいのみ、
そして、とろけるカルビの6点盛り。

焼く前から美味しそう♪
どんどん行こーっ。



[炭火だいにんぐ 燈。April. 2021 [太田市]]の続きを読む
薮塚本町歴史民俗資料館 その2。[太田市]
平瓦(格子文) 8世紀中葉 太田市藪塚町 台之原廃寺出土

薮塚本町歴史民俗資料館 その2。[太田市] 薮塚本町歴史民俗資料館 その2。[太田市]
軒丸瓦 7世紀末~8世紀前半 太田市寺井町 寺井廃寺出土

前回に続いて「薮塚本町歴史民俗資料館」の記事であります。
in 太田市。


=== 案内板より ===
~古代寺院~
古代新田郡には寺井廃寺のほか、台之原廃寺、釣堂廃寺、
東矢島廃寺といったお寺があったと想定されています。
しかし調査があまり進んでいないため、
これら廃寺の全容については明らかではありません。
新田郡家跡の北東に想定される寺井廃寺では、
7世紀後半~10世紀代までの古代瓦が出土していますが、
寺の範囲や建物の配置などはわかっていません。
一方、新田郡家跡の北西に想定される台之原廃寺では基壇が確認され、
8世紀半ば~後半の古代瓦などが出土していますが、
寺の全容についてはわかっていません。
これらの古代寺院がどんな寺であったか、明らかになる日が来るといいですね。
云々。。。



薮塚本町歴史民俗資料館 その2。[太田市]
円面硯(模造品)
円面硯(須恵器の硯) 7世紀後半~9世紀 太田市吉沢町 丸山北窯跡出土



===
~円面硯(えんめんけん)~
古代の役所跡の発掘調査では、
集落遺跡などに比べると出土遺物の全体量は多くありませんが、
文具関係の遺物が出土することがあります。
例えば須恵器で作られた円形の陸を持つ硯(円面硯)は、
文書をあつかうことが多い役所の遺跡ならではの遺物であるといえます。
当時、紙が普及する前は短冊状の木の板(木簡)に文章をしたためていました。
新田郡家では木簡は見つかっていませんが、円面硯の破片が出土しています。
云々。。。



薮塚本町歴史民俗資料館 その2。[太田市]

薮塚本町歴史民俗資料館 その2。[太田市]
新田郡家跡全体模式図


===
~上野国新田郡家跡~
新田郡家跡は現在の太田市天良町・新田小金井町にあった、
7世紀後半~9世紀代の上野国新田郡の役所跡(郡家(ぐうけ)・
郡衙(ぐんが)とも呼ぶ)です。
これまでの発掘調査で、郡庁や正倉院が確認されました。
政務を執り行っていた郡庁は、「庁屋(正殿)」を中央やや北寄りに配置し、
東西南北を長屋建物が「口」の字状に囲む構造であったことがわかりました。
一方、正倉院は幅約5mの外周区画溝(堀)によって囲まれた、
東西270~500m、南北240~300mの広大な平面台形状の区画の中に、
税として徴収した稲などを保管するための倉(正倉)などの
建物が建ち並んでいたことがわかりました。
現在、郡庁域と北西部正倉域が国の史跡指定を受けています。
云々。。。



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薮塚本町歴史民俗資料館。[太田市]

太田市藪塚にある「歴史民俗資料館」にやって参りました。
温泉街の中にある小さな博物館です。
入館料100円を支払って、ではでは。



薮塚本町歴史民俗資料館。[太田市]

群馬県内では珍しいという「陶棺」、
先ほどの「三島神社」から出土したという「子持勾玉」が
出迎えてくれます。



薮塚本町歴史民俗資料館。[太田市]

そして、こちらの資料館の目玉と言えば、
やはり「石田川式土器」ではないでしょうか?

↓この遺跡から出土した土器類です。
石田川遺跡。[太田市]



薮塚本町歴史民俗資料館。[太田市]

=== 案内板より ===
移住する
石田川式土器は、昭和22・24(1947・1949)年のカスリーン台風・
キティ台風後の治水対策として、昭和27(1952)年に
石田川・米沢川で実施された堤防構築工事のときに発見されました。
群馬大学尾崎喜左雄教授の指導のもと、群馬大学史学科学生であった
松島榮二氏や、当時藪塚温泉の今井旅館の経営者であった
今井新次氏によって調査が進められました。
これらはその時に出土した土器です。

その後、これらの土器は北関東地域における古墳時代前期の指標として
考古学研究上、特筆すべき資料であると位置づけられました。
また、この土器群の関東地方における分布状況から、
東海地方西部からのヒトの移住といったようなことも含めた
文化の伝播が想定されるようになりました。
云々。。。



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三島神社。[太田市]

太田市藪塚、「三島神社」にやって参りました。

歴史が深く、
以前よりチェックしていた神社さんです。


三島神社。[太田市]

三島神社。[太田市] 三島神社。[太田市]

「ご神木」と「狛犬」クン。


=== 案内碑より ===
三島神社改修記念碑
この神社の境内と周りには、縄文時代や古墳時代の住居跡があり、
社殿の下からは子持ち勾玉も出土しています。
これらのことから、ここは古くから信仰の場所だったのかも知れません。



三島神社。[太田市]

三島神社の勧請年代は不詳ですが、新田義重の孫義房が建久年間
(1190~1199)頃伊豆国(静岡県)の三島大社から勧請したと言われています。
また、元弘3(1333)年、新田義貞が鎌倉攻めのため旗挙げをした時、
一族の長岡氏がこの神社に戦勝祈願をしたとも言われています。
その後、新田氏が衰えたため、神社は荒れ果ててしまいました。
寛政4(1792)年、村民が協力して祝詞と幣束を受け復興しました。

平成16年6月社殿の一部を修理した際に、
寛政4年の祝詞や幣束、その他縄文時代の石棒破片、
江戸時代の神鏡など神宝とも言うべき物が出てきました。
これを機会に神社に関係する地域の皆様にご芳志をいただき、
社殿や境内の改修を行いました。これを記念してこの碑を建立しました。
云々。。。



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緊急事態宣言中に付き、過去記事をアップしています。
ご了承ください。


石田川遺跡。[太田市]

太田市です。
なかなか情報が少なくて、
ここに来るまで辺りをくるくる回ってしまいました。
備前島公園の方かと思っていたら、道路の反対側だったのですね。



石田川遺跡。[太田市]

石田川遺跡」であります。


=== 案内板より ===
石田川遺跡
石田川遺跡は、昭和27年に
石田川および米沢川における堤防構築工事が行われた際に
多数の土器が発見され、発掘調査が進められました。
出土した土器の一部に対し「石田川式土器」の形式が設定され、
それ以来、北関東地域における古墳時代前期の土器形式の指標として
位置づけられています。
出土した土器・埴輪は、薮塚本町歴史民俗資料館に収蔵されています。



石田川遺跡。[太田市]

石田川遺跡から出土した土器群。台付甕は、東海地方西部で成立し、
東日本に波及したと考えられています。
S字状の口縁をもち、胴部上半が大きくふくらんでいるのが特徴です。
この土器に対して「石田川式土器」の形式が設定されています。
北関東地域における古墳時代前期の土器形式として位置づけられ、
東日本の古墳文化成立にかかわる外来性の土器形式とされています。



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