
「陸奥総社宮」にやって参りました♪
「むつそうしゃのみや」と読みます。
陸奥国の総社であります。

「狛犬」クンですねー。
ご利益があるのでしょうけど、
なにも口の中まで入れなくてもねー、石(笑
とても頑張ってくれている狛犬クンです。

すぐ左手にあった建物。
ずいぶんと古いネ。
なんなのでしょうか?

「手水舎」でお清めをし。。。

「拝殿」でお参り。
と、

こちら「本殿」デス。
カッコイイ♪
=== 案内板より ===
醍醐天皇の延喜年中勅して全国より由緒正しき社、
3132座を神名帳に載せらる。
内188座を大社とし、他を小社とす。
之を延喜式内社と称し国司に命じて幣帛を供進せしめしが
後に参進の便を図り之を各国府の地に合祀して総社という。
当社は即ち陸奥国100座を、合祀する陸奥総社なり。

多賀城の一角にある「多賀城神社」です。
=== 案内板より ===
多賀城神社縁起
この神社は、多賀城神社と称し、後村上天皇をはじめとし、
北畠親房、顕家父子、伊達行朝、結城宗廣等の
南朝の諸将を奉祀する神社である。

元弘3年(1333)5月、鎌倉幕府を滅ぼし建武新政を樹立された後醍醐天皇は、
ひそかに関東、東北を拠点として新政府に叛旗をひるがえさんとする
足利尊氏の不穏な動きを洞察され、参議左中将北畠顕家を陸奥守に任じ、
嘉暦2年(1328)後醍醐天皇の第7皇子として生まれられた憲良王
(建武元年親王の宣下あり以後憲良を義良と改めらる)を奉じ、
陸奥、出羽両国を鎮撫のため陸奥国府の所在する多賀城に下向せしめられた。

この時、義良親王御年6才。顕家16才であったので、
建武中興の元勲であった前大納言北畠親房を親王の御守役として
また、顕家の補佐役としてともに下向せしめられた。
爾来、義良親王には、延元4年(1339)10月吉野行宮におかれ
即位(第97代後村上天皇)されるまでのわずか7年の間に陸奥大守として、
2度に渡り通算3ヶ年の歳月を多賀城において
南朝の忠臣達とともに王政復古のためつくされたのである。
云々。。。
鎌倉幕府が滅んで、南北朝時代へ。
南朝の方々をお祀りした神社さんなのですねー。
創建は昭和になってからのようです。
1つだけ小さなお社が建つ神社さんですが、カッコいい★