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ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

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飯塚古墳35号墳。[小山市]

小山市にある「飯塚35号墳」です。
摩利支天塚古墳の前の道を西に向かったT字路のところです。



飯塚古墳35号墳。[小山市]

=== 案内板より ===
飯塚35号墳(史跡)
この古墳は、飯塚古墳群の中の1つで、後円部の径約31メートル、
高さ約4.5メートル、全長40メートルを越す前方後円墳である。
墳丘の裾の部分で、北側は道路により、
南側と西側は建物を建てる際に削られており、周囲から埴輪や
土師器の破片が採集されたこともあるが、古墳自体が雑木や竹で
覆われていたため墳丘内部の保存状態は比較的良好である。
墳丘の南側に石室のものと思われる石が出土しており、
内部は横穴式石室と考えられる。



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摩利支天塚古墳。[小山市]

「琵琶塚古墳」に続いてやって参りました、
摩利支天塚古墳」です。
in 小山市。



摩利支天塚古墳。[小山市]

墳頂にある神社さんは「摩利支天尊神社」です。



摩利支天塚古墳。[小山市]

後円部より前方部を見る。


=== 案内板より ===
史跡 摩利支天塚古墳
摩利支天塚古墳は、隣接する琵琶塚古墳とともに
県内で最大の規模を誇る大形の前方後円墳です。
後円部の墳頂には後年になって摩利支天社が祀られ、今に至っています。
墳丘は自然の微高地を利用して築かれたもので、
その周囲には幅20mを越える大規模な周湟がめぐらされています。
この周湟は調査の結果、部分的に二重になっていることがわかりました。



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琵琶塚古墳。[小山市]

小山市にある「琵琶塚古墳」です。
「摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館」の、道路を挟んで向かいにあります。



琵琶塚古墳。[小山市]

墳丘の長さが約124.8メートルの、
栃木県内では2番目の大きさを誇る前方後円墳です。
下毛野地域を代表する首長墓と考えられています。



琵琶塚古墳。[小山市]

古墳の周りを巡る溝も、
ハッキリと確認できますねー。



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摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館。[小山市]

小山市にある「摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館」です。
摩利支天塚古墳、琵琶塚古墳、そして飯塚古墳群の資料や
遺物が展示されています。



摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館。[小山市]

=== 案内板より ===
姿を現した県内最大級の前方後円墳
~巨大古墳が決定づけた地域の物語~

飯塚地区は南で思川と姿川が合流し、北には(旧)東山道が経由する。
こうした交通・経済の要衝を抑えて、沖積地に突出した微高地上に築かれたのが
「摩利支天塚古墳」「琵琶塚古墳」である。これらの古墳を築いたのは
①地元の思川・姿川合流点を抑えた勢力(桑57号墳や成沢遺跡)、
②思川下流の沖積地に寒川古墳群を築いた勢力、
③宇都宮に大型前方後円墳(笹塚・塚山古墳)を築いた勢力の
3つの候補が挙げられる。

現在の研究ではまだ結論はつけがたいが、摩利支天塚・琵琶塚古墳の築造後、
栃木県の大型古墳は思川と姿川に挟まれたこの台地上に築かれることになり、
名実共にこの地が古代下野国の中心となるのである。
云々。。。



摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館。[小山市]

===
摩利支天塚古墳 5世紀末~6世紀初頭
墳丘長120.6m、総長約197mの栃木県最大級の前方後円墳。
盾形の二重周溝を有し、墳丘前方部及び前方部側の周溝・周堤が突出する
「剣菱型前方部」と呼ばれる特異な形態を示す。


摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館。[小山市]

摩利支天塚古墳は琵琶塚古墳の史跡指定から約50年後、
昭和53年に国史跡に指定され、琵琶塚古墳の調査に続いて
昭和55~57年にかけて範囲確認のための発掘調査が実施された。
この発掘調査において、前方部の墳丘や周辺の調査・現状の地籍から
前方部が「剣菱型」と呼ばれる特異な形態の古墳であること、埴輪が
琵琶塚古墳より古い様相を示すことが確認され、
築造時期が5世紀末~6世紀初頭と確定された。
平成25年には琵琶塚古墳と合わせて測量調査がなされ、
周堤の遺存状況や周辺の地形がより詳細に確認されている。
云々。。。



摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館。[小山市]

===
琵琶塚古墳 6世紀前葉
墳丘長124.8m、総長は200mを超える栃木県最大級の前方後円墳。
西は墳丘と相似形、東は盾形の二重周溝を有する。
墳丘1段目には幅広い平坦面が巡り、「基壇」をもつ古墳の初源と考えられる。

大正15年の国史跡指定後、初めて発掘調査が行われたのは
昭和53年のことである。
翌54年にかけて行われた調査により、墳丘や周溝の規模が把握されて
史跡指定範囲の拡大がなされる(昭和56年)と共に、
築造時期が6世紀前葉と確定された。

平成2年には摩利支天塚古墳との間を抜ける市道221号線の
拡幅に伴う発掘調査により周溝の範囲確認が行われている。
史跡整備事業の一環として実施された調査(平成25~29年)では
古墳の遺存状況と共に周堤・周溝の範囲確認がなされ、
整備事業の基礎資料が得られている。
云々。。。



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乙女不動原瓦窯跡。[小山市]

=== 案内碑より ===
国指定 乙女不動原瓦窯跡
昭和53年5月11日指定

本瓦窯跡は奈良時代に下野薬師寺を始めとして
当地域の重要な寺院に瓦を供給した造瓦所であります
本瓦窯跡は昭和52年の確認調査から4基の窯跡、灰原、工房跡、
住居址が発見されています
平成元年の発掘調査により窯は平窯(ロストル窯)で
瓦専用の窯であることがわかりました
現在は面積6125平方メートルが国指定史跡として現状保存されています
云々。。。



乙女不動原瓦窯跡。[小山市]

以前よりチェックしていたスポットです。
小山市にある「乙女不動原瓦窯跡」にやって参りました。

古代の瓦生産工場の跡です。
ここで造られた瓦は、下野薬師寺や下野国分寺に使用されたと云います。



乙女不動原瓦窯跡。[小山市]

乙女不動原瓦窯跡。[小山市]

===
平窯跡
平窯構造をもつ4基の窯は、谷から吹き上げる風を利用できるように
台地の縁辺部に並んでいます。
隣り合う2基1対の操業が考えられ、
次々と瓦の焼成が行えるよう工夫されています。
云々。。。



乙女不動原瓦窯跡。[小山市]

乙女不動原瓦窯跡。[小山市]



乙女不動原瓦窯跡。[小山市]

乙女不動原瓦窯跡。[小山市]

===
灰原跡
窯からでる灰をかき出した場所で、
窯溝築時の排土や瓦片の混じる灰が堆積しています。
土中からは寄生虫の卵が検出されており、
工人達が作業の合間に用を足したこともあったようです。
云々。。。



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