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ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

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古志田東遺跡。[山形県米沢市]

山形県米沢市です。
「一ノ坂遺跡」に続いてやって参りました、
古志田東遺跡」です。

と、案内版が、ブ厚いビニールとロープでガードされてますねー。
雪対策か何かかな?
ちょっと見ずらいですけれど、ささ、参りましょう (=゚ω゚)ノ


=== 案内板より ===
古志田東遺跡
古志田東遺跡は、最上川流域の河岸段丘に扇状地が複合した
緩やかな微高地にあり、南北98メートル、東西95メートルの
約8千平方メートルの範囲に広がっており、蛇行した河川に添うように
平安時代の豪族屋敷と膨大な遺物が検出されています。
この遺跡調査は、(財)米沢市開発公社が計画した林泉寺住宅団地造成事業で、
約3千平方メートルを対象に平成11年4~8月に実施されました。


古志田東遺跡。[山形県米沢市]
「古志田東遺跡復元想定図」。

屋敷は、大型掘立柱建物「母屋」を中心に西と東に各2棟、
南北に各1棟の計7棟で構成されています。
河川跡には丸木橋や東西の船着場、船を留める施設などが付随しています。


古志田東遺跡。[山形県米沢市] 古志田東遺跡。[山形県米沢市] 古志田東遺跡。[山形県米沢市]
「木製品「挽き物」類」、「木簡類」、「物差し(高麗尺)」。

出土した木製品は、61点の木簡をはじめ、椀・皿等の挽物類、
鍬・横槌等の農具類、鐙・独楽・弓・曲物等の日常品類が含まれます。
木簡は、多くの労働者を動員した記録簡や米の種子札、
大名「有宗」を記した公文書の断片などの貴重な内容が記されています。
土器は、須恵器・土師器・赤焼土器の食器を中心に約4万点が出土しています。
その半数を占める赤焼土器には、
樹液等で処理を行った土器が3割ほど含まれています。
墨書土器は約5百点が出土し、東建物を指す「東」や地名を指す「山田」・
「西山田」・「揖保」、吉祥句である「千万」・「伍万」・「吉」などがあり、
全体の7割に記された呪術絵は、祭祀に用いられたと考えられます。
そして、最も注目される遺物が物差しの出土です。
一寸が3.5センチと3.12センチの目盛が片面ずつに刻まれており、
表が高麗尺、裏は唐尺の可能性が指摘されます。
この物差しを建物にあてはめると大型の建物は高麗尺、
他の建物は唐尺に符号することがわかります。


古志田東遺跡。[山形県米沢市]

古志田東遺跡が機能したのは、9世紀前半から10世紀初頭で、
律令体制が衰退する時期にあたります。
遺跡では、大規模な農業経営や運河を利用して交易を行っていたことが
木簡等から知ることができます。
このように屋敷を構築した人物は、
米沢周辺に大きな影響を及ぼしていた豪族と推測されます。
古代から中世にかけての資料は、全国的にも少なく、
特に古志田東遺跡の発見は、東北地域の歴史を解明する上で
極めて重要な遺跡と判断され、平成12年度に国の史跡に指定されました。
同年度に公有地化をはかり、さらに平成14年度に、
遺跡の重要性を広く周知する目的で史跡公園として保存整備を行いました。
云々。。。



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一ノ坂遺跡。[山形県米沢市]

山形県米沢市です。

なんの変哲もない原っぱですが、
何を隠そうこの場所が、国内最長の大型住居跡が発見された
一ノ坂遺跡」なのでありますっ。



一ノ坂遺跡。[山形県米沢市]
「大型竪穴住居跡」。


=== 案内板より ===
一ノ坂遺跡
一ノ坂遺跡は、斜平丘陵の山麓に広がる
今から約6000年前の縄文初頭の遺跡です。
平成元年に実施した住宅建設に伴う調査により、
我国最長の43.5メートルの大型住居跡と炭化クルミ、
土器などが見つかっています。
また、8棟の竪穴住居跡が隣接して連続する連房式竪穴住居跡や
メノウ製品の装身具を副葬した墓壙などが
約1万平方メートルの範囲に分布しています。



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館山城跡。[山形県米沢市]

山形県米沢市です。

あの有名な独眼竜政宗、伊達政宗さんは実は
米沢出身の方だって知ってました?
あれですっ、「館山城跡」。
橋の向こうに見える、山にあったお城です。



館山城跡。[山形県米沢市]

小雨にめげて、これ以上行きませんでしたが、
橋の手前に小さな資料庫?がありました★
ご自分でシャッターを開けてご覧くださいっ、的な(笑


=== 案内板より ===
館山城跡
館山城は、伊達晴宗が天文17年(1548)に福島県桑折(こおり)西山城から
米沢に拠点を移した際の主城と考えられています。
以後、伊達氏は、輝宗、政宗と引き継ぎ、
天正19年(1591)に政宗が岩出山(岩手沢)城に移るまでの43年間を
ここ米沢で過ごしました。


館山城跡。[山形県米沢市]

本城は大樽川と小樽川に挟まれた舌状丘陵部に築かれた
全長350メートルを有する山城で、大規模な土塁と堀切や縦堀によって、
主郭(曲輪Ⅰ)、馬出(曲輪Ⅱ)、西曲輪(曲輪Ⅲ)を構成しています。
遺存状況も良好で、大手門・物見台・虎口・枡形・搦手・
帯曲輪等の遺構も明確に残っています。
城の周囲には、3個所の平坦地(南館・北館・東館と仮称)が置かれ、
北館からは石垣を配した遺構や家臣団の屋敷跡群、
東館からは庭園跡の一部や井戸跡、敷石遺構が
発掘調査によって検出されています。
また、南館からは大規模な空間を整地していることが確認されています。
このように館山城は、自然の地の利を活かした要害の城で、
山城を本丸として直下に居館を配置する構造は、
後の岩出山城や仙台城にも取り入れられ、
伊達氏山城の原点となったものと考えられます。
云々。。。



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小野川温泉 たかさごや。[山形県米沢市]

小野川温泉 たかさごや。[山形県米沢市] 小野川温泉 たかさごや。[山形県米沢市]
(写真はクリックで大きくなります。)

山形県米沢市、「小野川温泉」です。
ランチで梯子して、お腹一杯になったところで到着~★
今夜のお宿、「たかさごや」さんです。

正面から見るとなかなか重厚な建物です。
エントランスには吊るし雛とお釜がありました。
ここでご飯を炊くのかな?



小野川温泉 たかさごや。[山形県米沢市]

というわけで、チェックインを済ませお部屋へGO→

おぉ~、コタツですね~。
めちゃめちゃくつろげそうな和室であります♪

そしてこちら、
チョイと向こうのテラスに出てみると、、、


小野川温泉 たかさごや。[山形県米沢市]

おぉっ! なんと、半露天風呂付きっ!
それも浴槽が甕っ!(笑

湯口から出ている源泉はけっこうな熱さです。
ちょろちょろと少な目に注ぐことで温度調節してるのですねー。
早速いただましょう (=゚ω゚)ノ

いい塩梅ですっ。
湯加減サイコウ★ 白い湯の花。
硫黄の香りがふわふわと漂います。
なめてみると、ちょっとしょっぱいですねー。
それにしても柔らかいお湯です。いつまでも浸かっていられそう。

う~ん、期待していた以上の温泉であります。。。
さぁ、この極上のお湯に、何度でも浸かってしまおう♪
小野川温泉、恐るべし。。。



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お食事処 龍華。[山形県米沢市*小野川温泉]

山形県米沢市「小野川温泉」です。

ランチの梯子、2軒は、「お食事処 龍華」さん。
こちらも人気のお店らしく、
お昼の遅い時間にもかかわらず満席でありました☆



お食事処 龍華。[山形県米沢市*小野川温泉]

少々のウェイティングの後、テーブル席に陣取ります。
先ずは生ビール、それと「となりの冷やっこ」をお願いしました。

どうして〝となりの~〟なんですか?って、
それはお隣がお豆腐屋さんだから。
風味がしっかりしていて美味しい冷やっこです♪



お食事処 龍華。[山形県米沢市*小野川温泉]

せっかくの米沢ですから山形のお酒を楽しもう☆
地元の東光と、高畠町の米鶴。どちらもスッキリしていて飲みやすい。

アテには「赤かぶ漬」。
もう、止まりませんっ。
すみませーん、十四代と雅山流もくださいっ (=゚ω゚)ノ



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