緊急事態宣言中に付き、過去記事をアップしています。
ご了承ください。
![金井東裏遺跡。[渋川市]](https://blog-imgs-141-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/kanai-h-u-1.jpg)
「金井南牧自治会館」の先の、陸橋の下。
かの有名な「金井東裏遺跡」にやって参りました。
まだブルーシートがかけられ、発掘調査中だった当時は2014年だから、
ずいぶんと久しぶりです~。
![金井東裏遺跡。[渋川市]](https://blog-imgs-141-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/kanai-h-u-3.jpg)
=== 案内板より ===
金井東裏遺跡
~榛名山二ツ岳の火砕流によって被災した古墳人発見の地~
金井東裏遺跡の発見
金井東裏遺跡は榛名山の北東に位置する
河岸段丘上に:形成された扇状地形に立地しています。
この金井東裏遺跡で、平成24月11月に日本中を驚かせた大発見がありました。
榛名山の火砕流の犠牲となった甲を着た古墳人が発見されたのです。
通常は残らないとされていた人骨が発見されたことに加え、
甲を装着した状態であったことから、
これまでに例がない新しい発見として大きな注目を集めています。
云々。。。
![金井東裏遺跡。[渋川市]](https://blog-imgs-141-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/kanai-h-u-2.jpg)
榛名山二ツ岳の噴火
渋川地域は古墳時代に2度の大規模な噴火に見舞われました。
給源は榛名山二ツ岳で、甲を着た古墳人は、
1520年程前に起きた1度目の噴火(Hr-FA)による火砕流によって被災しました。
その後、2度目の噴火(Hr-FP)による大量の軽石によって埋没し、
現代まで眠り続けてきました。
云々。。。
ご了承ください。
![金井東裏遺跡。[渋川市]](https://blog-imgs-141-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/kanai-h-u-1.jpg)
「金井南牧自治会館」の先の、陸橋の下。
かの有名な「金井東裏遺跡」にやって参りました。
まだブルーシートがかけられ、発掘調査中だった当時は2014年だから、
ずいぶんと久しぶりです~。
![金井東裏遺跡。[渋川市]](https://blog-imgs-141-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/kanai-h-u-3.jpg)
=== 案内板より ===
金井東裏遺跡
~榛名山二ツ岳の火砕流によって被災した古墳人発見の地~
金井東裏遺跡の発見
金井東裏遺跡は榛名山の北東に位置する
河岸段丘上に:形成された扇状地形に立地しています。
この金井東裏遺跡で、平成24月11月に日本中を驚かせた大発見がありました。
榛名山の火砕流の犠牲となった甲を着た古墳人が発見されたのです。
通常は残らないとされていた人骨が発見されたことに加え、
甲を装着した状態であったことから、
これまでに例がない新しい発見として大きな注目を集めています。
云々。。。
![金井東裏遺跡。[渋川市]](https://blog-imgs-141-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/kanai-h-u-2.jpg)
榛名山二ツ岳の噴火
渋川地域は古墳時代に2度の大規模な噴火に見舞われました。
給源は榛名山二ツ岳で、甲を着た古墳人は、
1520年程前に起きた1度目の噴火(Hr-FA)による火砕流によって被災しました。
その後、2度目の噴火(Hr-FP)による大量の軽石によって埋没し、
現代まで眠り続けてきました。
云々。。。
![金井本陣児童公園。[渋川市]](https://blog-imgs-141-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/kanaihonjin-1.jpg)
渋川市です。
「金井本陣児童公園」にやって参りました。
何の変哲もない町内の公園て感じですが、実はここ、
かつての金井宿の本陣を勤めたお屋敷のあった場所なのです。
=== 案内碑より ===
金井本陣児童公園記念碑
この児童公園は昭和48年3月渋川市が
旧三国街道金井宿の本陣屋敷跡につくられた
三国街道は中山道高崎宿から分れて北上し新潟佐渡に通ずる
金井宿は金古渋川についで3番目の宿駅として設置され
年代は不詳であるが江戸時代初期の慶長寛永のころと推定される
宿は南北に直走し長さは約540メートル(当時の5町)
下金井から民家を移して計画的につくられた
その遺構は上之町仲之町下之町など屋敷の整然とした地割り形態や
西北丘より人力で引水し宿に平行して東と西に流れている用水路に
みることができる
宿には本陣脇本陣旅籠屋茶屋などあり
本陣は宿の中央で岸忠左衛門氏は問屋または名主などを勤めた
越後の長岡村松与板等の大名が宿泊した屋敷内には
当時の建物は遺されていないが幸い地下牢がある
地下牢はこの児童公園内にあり間口約3メートル奥行き約4メートル
深さは約2メートルである
江戸時代の中ごろにつくられたものと推定されるが
県下に類を見ない貴重なものとして昭和48年5月22日渋川市指定史跡となった
本陣屋敷跡は岸家の親族で桐生市に在住する
小林康泰氏所有管理するところであるが渋川市では小林氏より土地1133㎡を借用し
各種遊具を備えて児童公園としている
この碑は小林氏の好意に地元民が感謝の意をもって寄附を募り建立したもので
金井本陣児童j公園設置並に金井宿の由来を記して記念とする
云々。。。