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ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

2021/031234567891011121314151617181920212223242526272829302021/05

井原鑓溝遺跡推定地。[福岡県糸島市]

「三雲南小路遺跡」のすぐ南。
井原鑓溝やりみぞ遺跡推定地」があります。


=== 案内板より ===
井原鑓溝遺跡推定地
糸島市井原字ヤリミゾ・三雲字ヤリミゾ地内
井原鑓溝遺跡は江戸時代の天明年間(1781~1788年)に甕棺が
発見された遺跡です。
甕棺は当時の三雲村との境界に近い井原村の鑓溝で発見されたとされ、
その経緯は福岡藩士の青柳種信が書き記した「柳園古器略考」に
伝聞記として記されています。


井原鑓溝遺跡推定地。[福岡県糸島市]
青柳種信の肖像画

「日照り続きであったある日のこと、井原村の百姓であった次市が
田に水を引き入れようと水路の土手をつついたところ、
その一角が崩れて大きな壺が顔を出し、中から赤色の顔料(水銀朱か?)
とともに20面を超える銅鏡や鎧のような鉄板などが出土した。」

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三雲小路遺跡。[福岡県糸島市]

内容の濃い遺跡が、良くひと所に集中してあるものだなぁ、
と感心させられます。
平原遺跡に続いてやって参りました「三雲南小路遺跡」です。

こんもりとした小山があるとかではなく、
ここにありましたョ、的な平面復元です。


=== 案内板より ===
三雲南小路遺跡
- 国内最大級の弥生王墓 -
三雲南小路遺跡は、弥生時代中期末(約2000年前)の伊都国王の墓で、
墓の周囲に幅3~4m・深さ0.5~0.7mの溝で、東西32m・南北31mの
方形区域を設けた国内最大級の弥生王墓です。
江戸時代(1822年)に発見された時には甕棺の上に
1.5mほどの盛土があったとされ墳丘があったと推定されます。


三雲小路遺跡。[福岡県糸島市]

墳墓の中央部には2基の長特大の合わせ口甕棺(全長2.5mほど)があって、
1号甕棺から35面、2号甕棺から22面、合わせて57面にのぼる前漢鏡、
青銅製武器、金銅製四葉座飾り金具、ガラス製壁、装身具など
豪華な副葬品が出土しました。


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平原遺跡。[福岡県糸島市]

平原遺跡」です、in 糸島市。
平原と書いて〝hirabaru〟と読みます。

来てみて、案内板を拝見して驚愕の文字がっ(汗、、、
八咫鏡、天照大神。。。!
帰ってきてから、も1度調べてみてさらに驚く(汗、、、
卑弥呼の墓。。。!

そんな素敵な遺跡でありました (=゚ω゚)ノ


=== 案内板より ===
国指定史跡 曽根遺跡群 平原遺跡
1965(昭和40)年と1988(昭和63)~1999(平成11)年に発掘調査され、
弥生時代中期初頭の竪穴住居跡7棟、壺棺墓1基・木棺墓4基、
弥生時代後期の墳丘墓3基・大柱遺構3基・特殊建物跡1棟・
古墳時代前期の円墳2基・土壙墓12基・時期不詳の掘立柱建物3棟
などが発見された。


平原遺跡。[福岡県糸島市]

このうち、弥生時代終末期の1号墳は14m×10.5mの長方形状の平面形で、
幅1.5m~3.0mの周溝で区画し、排水溝を持った墓である。
主体部である広さ4.5m×3.5mの墓壙中央には、長さ3.0m、幅0.7m~0.9mの
割竹形の木棺が納められていた。
棺の内外から銅鏡40面、ガラス勾玉3点・管玉30点以上・連玉886点・
丸玉約500点・小玉482点、メノウ管玉12点、ガラス耳璫2点、水銀朱、
鉄製素環頭大刀1本などが出土した。


平原遺跡。[福岡県糸島市]

特に直径46.5cmの古代で世界最大の超大型内行花文鏡5面を含む
銅鏡などの豊富な副葬品から、1号墳は巫女的な性格をもった
伊都国の女王墓と推定される。
なお、超大型内行花文鏡を八咫鏡として、「日本書紀」などにみられる
大日孁貴(おおひるめのむち)の墓と考える原田大六先生の説がある。
云々。。。


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石ヶ崎支石墓。[福岡県糸島市]

田んぼの中に突如現れる雑木林。
古墳か何かかなぁ~と、怪しい雰囲気に誘われて。。。

近寄れば案内板が。
石ヶ崎支石墓」でありますっ。
やっぱり。。。


石ヶ崎支石墓。[福岡県糸島市]

=== 案内板より ===
石ヶ崎支石墓
この丘には、1949年(昭和24年)に原田大六氏らが発見、
発掘調査を行なった弥生時代の墳墓遺跡(石ヶ崎支石墓)がある。
遺跡の中で最も注目されたのは、墓群の最高所で発見された弥生時代前期
(2300年ほど前)の支石墓である。
支石墓とは、墓壙の上に数個の支石を配し、
その上に自然石をのせて標石とした墓であるが、石ヶ崎支石墓の上石は
差し渡し3mほどの花崗岩の板石を置いた大型支石墓であった。
地下の埋葬施設は組合せ式木棺と考えられる。


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三雲・井原遺跡と築山古墳。[福岡県糸島市]

=== 案内板より ===
三雲・井原遺跡 - 伊都国の王都 -
三雲・井原遺跡は、中国の歴史書「魏志」倭人伝に記された
弥生時代の国のひとつである「伊都国」の王都とされる遺跡です。
遺跡の面積は、瑞梅寺川と川原川に挟まれた約60㏊の三角地で、
その規模は弥生時代において国内最大級を誇ります。

遺跡の発見は、江戸時代の三雲南小路遺跡、井原鑓溝遺跡の
両王墓の発見にさかのぼります。
本格的な発掘調査は1974年に開始され、
今日までに100か所を超えるトレンチ調査が行われました。
調査の結果、遺跡中央部に広がる大集落と、その南~北部には
集落を囲むような形で、甕棺墓や石棺墓などの墓域が展開し、
集落と墓域の間は数条の大溝によって区分されるなど、
しだいに王都の姿が浮かび上がってきました。

王都としての特徴は、広大な面積のほかに集落域から豊富に出土した
外来系遺物にみられます。
仲田地区や番上地区から出土した中国産の辰砂(しんしゃ)や中近東原産の
ファイアンス玉、朝鮮半島系の楽浪土器は中国、朝鮮半島との交流で繁栄した
「伊都国」の証といえます。
また、ヤリミゾ地区からは大量のガラス製装身具や銅鏡などが出土しており、
王に次ぐ有力者の墓と考えられています。
糸島地方を代表する貴重な文化遺産です。みんなで大切に保存しましょう。
云々。。。


三雲・井原遺跡」。福岡県糸島市です。
畑の中を走る1本道の脇に建つ案内板。
1枚の案内といえども、ヒジョーに濃い内容が記されていますっ。
魅力的だっ。。。


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