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ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

2021/031234567891011121314151617181920212223242526272829302021/05

Licca~麺之匠。[那須町湯本]

Licca NASU HUTTE」さん。

那須湯本殺生河原のところにある、
cafe、zakka、&craftのお店。
とてもユニークでお洒落です♪


Licca~麺之匠。[那須町湯本] Licca~麺之匠。[那須町湯本]

Licca~麺之匠。[那須町湯本]

コーヒーブレイクならぬ、ビアブレイク(笑)で立ち寄りました。

高原野菜のピクルスを一口、そしてビールをクピクピ、
ソーセージにかぶりつき、ビールをクピクピ、
チーズステックとビール、と、そんな感じです★

窓際のカウンター席から外を眺めながら。
いい気持ちだなー。

オリジナルハンバーガーが有名なお店らしいです!
次回に挑戦してみたいなぁ。
今日はとりあえずこのへんで。

隣のお蕎麦屋さんに移動しました。


[Licca~麺之匠。[那須町湯本]]の続きを読む
那須湯本、殺生河原にて。

殺生石」です。
説明の必要もないほど有名な、妖怪伝説「九尾の狐」。
妖怪九尾の狐が、この殺生石になっちゃったっていう
怖いお話ですね~。


=== 案内板より ===
殺生石と白面金毛九尾の狐伝説
 石の香や 夏草赤く 露あつし  芭蕉
 飛ぶものは 雲ばかりなり 石の上  麻父
 あわれさや いしを枕に 夏の虫  桃隣

殺生石は、白面金毛九尾の狐伝説(九尾の狐伝説)として知られ、インド、中国
そして日本の三国にまたがる雄大な歴史を背景に、美女や妖怪、
宮中人などが登場する怪奇で広大なスケールとして描かれています。
また荒涼たる殺生石の情景は多くの文人たちによって
数多くの文学作品として紹介され、全国的に知られる史跡の一つとなっています。

話は、平安初期の鳥羽帝の御代。
インド、中国を荒らしまわった九尾の狐は、やがて日本へ渡来、
「玉藻の前」という美女に化身し、帝の寵愛を受けるようになりました。
帝の命を奪い、日本を我がものにしようとした玉藻の前は、
陰陽師の安倍泰成によってその正体を見破られ、白面金毛九尾の狐の姿となって
那須野が原へ逃げ込んだのです。


那須湯本、殺生河原にて。

これを知った朝廷は、上総介広常、三浦介義純の両名に命じ
九尾の狐を退治させました。狐は死して巨石と化し、
その怨念は毒気となって近づく人や家畜、鳥獣をも殺し続けたのでした。

室町時代になって、これを伝え聞いた名僧源翁和尚はこの地を訪ね、
石に済度、教化を授け、持っていた杖で一喝すると、石は三つに割れ、
一つは会津へ、一つは備前へと飛んでいき、残った一つがこの殺生石である
と伝えられています。

殺生石は、室町時代の「下学集」に初めて登場し、その後謡曲「殺生石」が書かれ、
江戸時代には歌舞伎等の演劇の題材として上演され、
日本国中に知られるようになりました。

元禄2年(1689)、芭蕉がおくのほそ道で湯本を訪れたのも
殺生石を見るためでした。
殺生石は、これより賽の河原を経て300メートル奥にあります。
現在でも風のない日はガスが漂いますので御注意ください。
云々。。。


[殺生河原の風景。[殺生石]]の続きを読む
那須湯本、殺生河原にて。

那須湯本「殺生河原」です。

たくさんのお地蔵様がいらっしゃいます。
千体地蔵」。


那須湯本、殺生河原にて。

手が大きいんです。
可愛らしいお地蔵様たちが並びます♪


[殺生河原の風景。[千体地蔵と教傅地蔵]]の続きを読む
那須湯本、殺生河原にて。

=== 案内板より ===
那須温泉
那須は温泉に恵まれており、湯本鹿の湯をはじめ大丸・北・弁天・
高雄・三斗小屋・旭・八幡・新那須・飯盛など数多くの温泉があります。
中でも那須湯本鹿の湯の歴史は古く舒明(じょめい)天皇の御代(奈良朝630年)に
狩野三郎行廣が、白鹿にみちびかれて発見したということです。

正倉院古文書駿河国正税帳に、奈良朝時代の貴族が
湯本温泉に湯治に来たことが記載されており、
古くから湯治の場として親しまれ今日に至っております。
左の絵は、明治38年ごろの湯本温泉を描いたものです。
云々。。。


那須湯本「殺生河原」でありますっ。


那須湯本、殺生河原にて。

数多くの伝説や云われが残るエリアですが、
やはり有名なのは「殺生石」にまつわる〝九尾の狐〟ではないでしょうか?
こちらの「盲蛇石」は、その殺生石の手前、
殺生河原に入って間もなくにあります。


===
盲蛇(めくらへび)石 -その名の由来-
昔、五左ヱ門という湯守が長くきびしい冬を越すために
山に薪を採りに行きました。
その帰り道五左ヱ門がこの殺生河原で一休みしていると、
2メートルを超える大きな蛇に出会いました。
大きな蛇の目は白く濁り盲の蛇でした。
かわいそうに思った五左ヱ門は、これでは冬を越せないだろうと
蛇のためにススキと小枝で小屋を作ってあげました。

次の年、蛇のことを忘れなかった五左ヱ門は、
湯殿開きの日に小屋に来て蛇をさがしました。
しかし、蛇の姿はどこにもなく、かわりにキラキラと輝く湯の花がありました。
盲蛇に対する温かい気持が神に通じ、湯の花のつくり方を教えてくれたのでした。

その後、湯の花のつくり方は村中に広まり、
村人は盲蛇に対する感謝の気持を忘れず、
蛇の首に似たこの石を盲蛇石と名付け大切にしたのだそうです。
云々。。。


[殺生河原の風景。[盲蛇石と湯の花採取場跡]]の続きを読む
那須湯本、温泉神社。

那須湯本「温泉神社」にやって参りました。
すご~く昔に来た憶えのある「殺生石」のところです。

正面の「鳥居」。


那須湯本、温泉神社。

そして2つ目の「鳥居」。


那須湯本、温泉神社。

参道左にあった「さざれ石」。

=== 案内板より ===
大和さざれ石
君が代は 千代に八千代に さざれ石の
巌となりて 苔のむすまで
この石が国歌に歌われているさざれ石です。悠久の歳月の間に
多くの小石が凝結したもので、さざれ石は年とともに大きく成長し、
巌となると信じられている神霊の宿る石です。
石に宿る神聖な力をあらわし石に触れることにより願いが叶うと言われ
誠に目出度い石であります。
云々。。。


那須湯本、温泉神社。

那須湯本、温泉神社。

那須湯本、温泉神社。


[温泉神社。[那須町湯本]]の続きを読む