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ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

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上野国多胡郡正倉跡。[高崎市]

高崎市です。
多胡碑から南に行って程なく。
多胡郡正倉跡」にやって参りました。



上野国多胡郡正倉跡。[高崎市]

法倉の跡と思われる場所に
礎石が配置されているだけなのですが。。。
なんとも素晴らしい遺跡なのでありますっ。


=== 案内板より ===
多胡郡正倉跡
多胡郡正倉跡は、今から1300年ほど前の
奈良時代から平安時代にかけて存在した古代多胡郡の役所跡です。
奈良時代は、律令と呼ばれる法律に基づいた中央集権的な
国家の体制が整った時代です。
この頃、地方行政は国・郡・里の3段階の単位むに編成されました。
711年(和銅4年)、この地に多胡郡が新たに設置され、
郡の役所である郡衙(郡家)も整備されました。



[上野国多胡郡正倉跡。[高崎市]]の続きを読む
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移築復元古墳 2基。[高崎市*多胡碑のとこ]

多胡碑のとこ、多胡碑記念館の隣に
移築復元された古墳が2つありました。
片山1号墳」と「南高原1号古墳」。



移築復元古墳 2基。[高崎市*多胡碑のとこ]

先ずは「片山1号墳」です。
〝粘土槨古墳(5世紀始)〟と案内されています。


=== 案内板より ===
片山1号墳(上毛古墳総覧吉井町65号)
高崎市吉井町片山117番地より粘土槨を移築

本古墳は、墳形32.6mを測り、周囲に巡る濠跡を含めると
直径約50mを測る円墳となります。
主体部は墳頂中心より南に寄った位置から、
8.8mを測る長大な粘土槨を確認しました。
粘土槨からは小型仿製の内行花文鏡のほか竪櫛(約40点)、鉄剣、鉄鏃、
鉄製斧、石製模造品(斧・刀子・臼玉)、管玉などが出土しました。
築造年代は、4世紀末から5世紀初頭と推定されます。

粘土槨は全長約8.8m、幅約2.0mの墓壙の中に粘土を敷き、
大木を建て半分にして中をくりぬいた割竹形木棺を置き、
更に粘土で包んだものが残っていました。
云々。。。



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多胡碑。[高崎市]

高崎市です。
多胡館跡に続いてやって参りました、
多胡碑 tagohi」であります。

前回ここに来たのが2008年だから、なんと13年ぶり!
こちらの建物の中に展示されています。



多胡碑。[高崎市]

=== 案内板より ===
特別史跡 多胡碑
多胡碑は栃木県にある那須国造(なすのくにのみやつこ)碑、宮城県にある
多賀城(たがじょう)碑とともに日本三碑と呼ばれている古代の石碑である。
また高崎市の山ノ上碑、金井沢碑とともに上野三碑とも呼ばれる。
碑の高さは129センチで、吉井町南部に産出する
硬質の牛伏砂石(通称多胡石)で造られている。



多胡碑。[高崎市]

その書体は楷書体で中国の六朝風(ろくちょうふう)を遺す(のこす)と
いわれており、古くより多くの書家に愛好され、六行八十字の文字の彫りも
味わいあるものとして評価されている。

土地の人は多胡碑を「ひつじさま」と呼び信仰の対象としてまつり、
今日まで守ってきた。また、文面に見える「羊」にちなんだ「羊太夫」の伝説は、
古くから語り継がれて親しまれている。



[多胡碑。February.2021 [高崎市]]の続きを読む
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多胡館跡。[高崎市]

少しだけ迷いましたが、無事到着です。
この先にお目当ての史跡が待っているのです。
in 高崎市。



多胡館跡。[高崎市]

多胡館跡」ですっ。

雑木林の前にあるこちらの案内と、



多胡館跡。[高崎市]

「土塁」!
史跡は以上ですっ。


=== 案内板より ===
多胡館跡
多胡館跡は、一辺約100メートルの正方形に近い平面形をした館跡である。
ここは、歴史上有名な武将である木曽義仲にかかわる館であった。
木曽義仲の父義賢(よしかた)は一時この多胡館に住み、
義仲は挙兵した後、「上野国の多胡荘は、亡父の遺跡」として、
この地を訪れている。



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保渡田古墳群 八幡塚古墳。[高崎市]

小栗終焉の地からの帰路。
やはり高崎まで来たのだから寄って行こう。
保渡田古墳群 八幡塚古墳」です。

いつ来てもいーです♪



保渡田古墳群 八幡塚古墳。[高崎市]

今日は埴輪を少々。。。


===
人物・動物埴輪群像
内堤の上に、円筒埴輪による区画(約11m×5m)を設け、
54体ほどの形象埴輪(人物や動物・道具類をかたどった埴輪)が置かれていた。
この区画の最初の調査は1929(昭和4)年に行われたが、
出土埴輪の約半分は失われた。
ここに復元した埴輪は、現存資料や記録類、
新たな出土資料を検討したうえ、想定復元したものである。

椅子に座った人々のグループ、立ち姿の人々のグループ、
狩りをする人と動物、整列する人や動物のグループなど
いくつもの場面が見られ、様々な儀礼の様子を表したものだと考えられる。
東日本の人物・動物埴輪でも早い時期に属し、
かつ最も内容が整った事例として知られている。
云々。。。



保渡田古墳群 八幡塚古墳。[高崎市]

ひつひとつに名称が付いているんですねー。
手前から、
「鳥を腕に据える男子」、「猪形を腰に付ける狩人」、と「鹿か?」。



保渡田古墳群 八幡塚古墳。[高崎市]

「魚をくわえる鵜」と、
その向こうにあるのっぺらぼうみたいのは、
「小型人物半身基部」と「大型人物半身基部」。



[保渡田古墳群 八幡塚古墳。December.2020 [高崎市]]の続きを読む