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ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

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米米麦麦 鹿児島空港店。[鹿児島県*鹿児島空港内]

鹿児島空港のフードコートにあるお食事処。
米米麦麦」さんにやって参りました。
黒豚や鶏などの丼もの、郷土料理が楽しめるお店です。

夕方5時から始まる〝だれやめセット〟。
その中から「篤姫セット」をお願いしました。

生ビール(小)が1杯、焼酎が1杯、
それに、お店のお任せオツマミ3品が一緒になった優れモノ。


米米麦麦 鹿児島空港店。[鹿児島県*鹿児島空港内] 米米麦麦 鹿児島空港店。[鹿児島県*鹿児島空港内] 米米麦麦 鹿児島空港店。[鹿児島県*鹿児島空港内]

フライトまでの時間、
芋焼酎のお湯割りをクピクピと飲りながら、
「鶏の炭火焼」、「黒豚串カツ」、「たこ唐揚」、


米米麦麦 鹿児島空港店。[鹿児島県*鹿児島空港内] 米米麦麦 鹿児島空港店。[鹿児島県*鹿児島空港内] 米米麦麦 鹿児島空港店。[鹿児島県*鹿児島空港内]

もう少し飲りながら、
「黒豚串焼き」、「塩ゆで落花生」、「きびなご一味焼き」、
をいただきます★


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鹿児島の史跡名勝、仙巌園。

鹿児島です!
名勝 仙巌園」から見た桜島であります。
本来ならこんな絶景だったに、小雨フル今日。。。


鹿児島の史跡名勝、仙巌園。

ちょっと残念 (;д;)
でもでも気を取り直して、さぁ参りましょう!
「仙巌園」!


鹿児島の史跡名勝、仙巌園。

=== 案内板より ===
国指定名勝文化財 仙巌園 通称 磯庭園
島津氏は、12世紀末、源頼朝から島津荘地頭職、
薩摩、大隈、日向3ヶ国の守護職に任命された
惟宗忠久(これむねただひさ)が、島津を名乗ったことにはじまります。

江戸時代になると、島津氏は、琉球の支配も認められ、
72万石の外様大名として南九州を統治し続けました。
磯庭園は、正式名称を仙巌園といい、
万治元年(1658)、19代島津光久が鎌田出雲政近の
大磯下津浜門屋敷を御用地と成し、
御仮屋を建てたのが始まりとされています。


鹿児島の史跡名勝、仙巌園。

島津藩ではすでに18代島津家久が城山に鶴丸城を建て、
島津氏の居城としており、仙巌園に建てられた御殿は、
島津家の別邸として代々の藩主に受け継がれました。
江戸時代中期、21代吉貴の代には、中国より江南竹が移植され、
曲水の庭が作庭されたと伝わっています。


鹿児島の史跡名勝、仙巌園。

また、27代の斉興の代には、庭地拡張が行われ、
同時に千尋巌、集仙台、筆塚などが造られました。
さらに、廃藩置県後には29代の忠義が移り住み、正門が造られ、
ほぼ現在の形に整えられました。

なお、この仙巌園は、昭和33年(1958)に、
名勝として国の文化財に指定されています。
云々。。。


===
御殿
19代島津光久が屋敷を構えて以来、仙巌園は別邸として
歴代当主に受け継がれました。
しかし明治4(1871)年の廃藩置県で、島津家の人々は鹿児島城(鶴丸城)
からここに移り、明治17(1884)年には御殿の大規模な改築が行われました。
現在は当時の約3分の1の建物が残されており、往時の島津家の暮らしぶりを
物語っています。
云々。。。


[仙巌園 その2。[鹿児島県鹿児島市]]の続きを読む
レストラン 松風軒。[鹿児島県*仙巌園内] レストラン 松風軒。[鹿児島県*仙巌園内]

「仙巌園」です。
園内にあるお食事処でのランチタイム。
レストラン 松風軒」さんにお邪魔しました★


レストラン 松風軒。[鹿児島県*仙巌園内]

お願いしたのは「季節膳」。
ミニデザートとソフトドリンクが付いた優れモノ。

お店のおすすめ、しかも1日限定10食、なんて書かれてるものだから、
ついついたのんでしまいます。
限定って言葉に弱いなぁ(笑


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仙巌園。[鹿児島県鹿児島市]

鶴嶺神社に続いてやって参りました。
鹿児島の名称「仙巌園 sengan-en」です。


=== 案内板より ===
大名庭園「仙巌園」と近代化の拠点「集成館」
大名庭園「仙巌園」の魅力
仙巌園は第19代島津光久によって万治元年(1658年)に造られました。
歴代当主の別邸として機能し、雄大な桜島を背景とする庭園や錫門、
御殿、望嶽楼などが大名家の暮らしを今に伝えています。

近代化の拠点「集成館」
幕末の嘉永4年(1851年)に始まった秀英館事業は国を守り
産業を発展させ、日本を強く豊かな国にするためのものでした。
ここには旧集成館機械工場や反射炉跡など、日本近代化の出発点となった
遺産群が残されています。
云々。。。


仙巌園。[鹿児島県鹿児島市]

というわけで、入り口近く、
先ず目を引くのが大きな大砲です。
これぞ「鉄製150ポンド砲」!


=== 案内板より ===
西欧列強が東アジアに進出した19世紀、28代島津斉彬は防衛のために
西洋式の反射炉や熔鉱炉、鑽開台を建設し、鉄製大砲を建設しました。
斉彬の側近、市来四郎は、薩摩藩は安政4(1857)年に鉄製150ポンド砲の
製造に成功したと記しています。
文久3(1863)年、薩英戦争の時、鹿児島城下には2門の150ポンド砲があり、
威力を発揮しました。
云々。。。


仙巌園。[鹿児島県鹿児島市]

===
反射炉の建設と集成館の設置
アヘン戦争で中国がイギリスに敗れたという情報は、
島津斉彬に大きな衝撃を与えました。
嘉永4年(1851)、薩摩藩主となった斉彬は、日本が西欧諸国の
植民地にされるのではないかという危機感を抱き、
海洋に多くの領地を有する薩摩藩こそ、「大砲と船」に象徴される軍備の近代化と
産業育成に力を注ぐべきだと考えました。

反射炉は鉄製の大砲を鋳造するために築かれたもので、嘉永5年に着工し、
安政3年(1856)ようやく鉄製砲の鋳造に成功しました。
また反射炉を中心に溶鉱炉やガラス工場など様々な工場が整備され、
これらの工場群は「集成館」と命名されました。


仙巌園。[鹿児島県鹿児島市]

生麦事件に端を発した文久3年(1863)の薩英戦争では、イギリス艦隊7隻を相手に、
ここで造られた大砲が大活躍しましたが、その後解体され、
現在は基礎部分だけがのこされています。
云々。。。



===
集成館事業と反射炉跡
石垣は、大砲を鋳造するための反射炉の基礎部分です。
ここには耐火煉瓦を使って西洋式の反射炉が築かれていました。
欧米列強の艦船から国を守るには大型のカノン砲を並べた砲台要塞が必要である
と考えた薩摩藩は、オランダ人ヒュゲニンの図面を頼りに自力で反射炉建設に着手。


仙巌園。[鹿児島県鹿児島市]

反射炉はドーム型の炉の天井で炎を反射させた強い熱で鉄を溶かし、
大砲の鋳型に流し込む施設です。
従来の石工技術で切石を組み、薩摩焼の技術で耐火煉瓦を焼き、
炉の材料としました。
1号炉は失敗に終わりますが、完成した2号炉で大砲を製造しました。
云々。。。


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鶴嶺神社。tsurugane-jinja [鹿児島県]

鹿児島県にやって参りました!

こちら「鶴嶺神社」であります。
島津家ゆかりの「仙巌園」のすぐお隣。
鶴嶺と書いて〝つるがね〟と読みます。
島津家歴代の当主が祀られている神社さんです。


=== 案内板より ===
鶴嶺神社
鎮座地 鹿児島市吉野町磯
御祭神 島津家歴代当主とその家族
御祭神 玉里島津家歴代当主とその家族
従 神 家老5名、殉死者45名
由 緒
島津氏は、鎌倉時代の初め文治元(1185)年より明治2(1869)年の
版籍奉還に至るまで、約700年にわたって南九州を治めた武将の家系です。

鶴嶺神社は明治2(1869)年、島津家の歴代の当主と家族等をお祀りする神社として、
鹿児島城下の山下鶴嶺(現、鹿児島市照国町)に創建されました。
明治6(1873)年、県社に列せられ、同12(1879)年に竜尾神社を合祀しました。
大正6(1917)年に現在地に遷座されました。
なお、28代島津斉彬公は、日本の国旗「日の丸」をご考案されました。
云々。。。


鶴嶺神社。tsurugane-jinja [鹿児島県]

===
鶴嶺神社と亀寿姫(ジメサァ)
鶴嶺神社には、島津歴代の当主とその家族たちが祀られています。
亀寿姫も御祭神の1人です。
亀寿姫は、元亀2(1571)年16代島津義久の三女として誕生しました。
天正15(1587)年、父義久が豊臣秀吉に降伏、亀寿姫は人質として
秀吉のもとに送られました。

その後、18代家久(義久の弟義弘の嫡男)の夫人となり、
寛永7(1630)年に亡くなりました。
心優しい人であったと伝えられ、鹿児島の人たちは亀寿姫の法名・
持明院にちなんで「ジメサァ」と呼んで慕い続けました。

また、たいへん美人であったとも伝えられています。
『薩摩旧伝集』に、秀吉は、亀寿姫があまりにも美しいので、
はじめは、偽物ではないかと疑いましたが、落ち着きはらった態度を見て
本物に違いないと判断したという逸話が記されています。
このため、鶴嶺神社にお参りすれば身も心も美しい女性になれるといわれ、
多くの女性がお参りするようになりました。
云々。。。




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