
=== 案内板より ===
史跡 森将軍塚古墳
森将軍塚古墳は、今から1600年ほど昔に造られた全長約100mの
前方後円墳です。当時『科野のクニ』を治めていた豪族の墓と
考えられています。
云々。。。


===
竪穴式石室は日本最大級
古墳の埋葬施設には、竪穴式石室・粘土槨・横穴式石室などがあります。
~中略~
森将軍塚古墳の竪穴式石室は、長さ7.6m、幅2m、高さ2.3mの長大なもので、
日本最大級の規模です。床面の幅が特に広いのが特徴です。
===
残された副葬品
古墳時代前期の古墳には、武器(剣・刀・矢)とともに鏡、ノミなどの
農具や工具が副葬されるのが特徴です。
中期以降の古墳では、多量の武器や馬具などが副葬されます。
この二つの土器は小型丸底鉢と呼ばれるもので、当時の政治や
文化の中心である近畿地方の影響のもとに作られた土器です。
この科野のクニが当時、近畿地方をはじめ各地と、
盛んに交流していたことがわかります。
云々。。。

===
副葬品が語る古墳の主
石室内の副葬品は、そのほとんどがすでに持ち去られていたようです。
しかし、残された品じなから、大和王権と密接な関係をもち
人々に繁栄をもたらす指導力を発揮した、科野のクニの最初の王の姿を
見ることができます。
見つかった三角縁神獣鏡片は、中国製の大型鏡です。
大和王権から全国各地の王に、政治的な関係を結んだ証として与えられた
といわれる、長野県下では唯一のものです。
云々。。。

山の尾根に造られている〝森将軍塚古墳〟。
その麓にある「森将軍塚古墳館」です。
森将軍塚古墳に関するいろいろな資料が展示されています。

お目当ての古墳です。
しかし、それは山の上にありましたっ?!
歩いても行けますが、せっかくですから見学バスを利用することにしました。
(一般車両は進入禁止であります。)
そう、これが「森将軍塚古墳」です。

ずいぶんと見晴らしのよい、山の尾根にあります。
よくこんなところに造りましたねー。

それにしても大きいっ。
長野県内で最大。
石室は東日本最大級の前方後円墳なのです。

=== 案内板より ===
史跡 森将軍塚古墳
前方後円墳に代表される古墳は、4世紀にはいるころ
近畿地方の有力者たち(大和王権)によって築かれはじめたと考えられています。
古墳の形や大きさは、大和王権と各地の有力者たちとの関係の深さと
力の大きさなどによって決まるといわれています。

長野県下で最初の、そして最大の前方後円墳である森将軍塚古墳は、
“科野(しなの)の国”最初の王者のお墓といってもよいでしょう。
古墳は、主がおさめた善光寺平を一望にできるこの狭い尾根の上に、
築かれたので折れまがった形となったと考えられています。
また尾根を削ったり、土を盛り形を整え、表面には
この山から集めた石英斑岩を葺き並べています。
云々。。。

===
前方部
前方部は、古墳の主が眠る後円部にいたる通路あるいは、
儀式の場所ではないかと考えられています。
森将軍塚の前方部は、後円部と同様に千曲川から運びあげられた
玉砂利が敷きつめられ、埴輪が立て並べられた広いものです。
後には竪穴式石室2基をはじめ、組合式箱形石棺や埴輪棺などの
埋葬施設が設けられています。
云々。。。

=== 案内板より ===
御柱(おんばしら)
御柱は寅年と申年の7年目毎に神殿の御造営と共に建替えられる御神木で
社殿の四隅に建立される。
この御柱は秋宮一之御柱で長さ17米直径1米の樅の大木で
霧ヵ峰高原に続く東俣国有林伐採し数千人の氏子奉仕によって曳行された。
4月の山出祭、5月の里曳き祭は天下の奇祭として有名である。
云々。。。

===
天下の大祭 諏訪大社
御柱祭りと御幣
信濃国一之宮である諏訪大社では今から1200年あまり前の桓武天皇の頃より
寅・申の歳、7年毎に式年造営御柱大祭が行われてきました。
御柱は樹齢150年以上の樅の大木で10数キロメートルにおよぶ
山奥から曳き出されます。
長さ20メートル、重さは12トン、この大木を曳くには、
千人あまりの人々の力が必要です。
遠くまでとどく高い声の木遣(きやり)の唄に合わせて、
神霊が宿るといわれるこの御幣を打ち振り一致協力して
社の四隅に曳きつけ、建てるのです。
山出祭は、豪壮な木落としが見られます。
また里曳祭は、長持、騎馬行列等が華やかな祭を演出します。
云々。。。

===
ナウマンゾウ
野尻湖から出土した化石をもとに復元をした。
全長3.7m、幅1.4m、高さ2.7m、重さ4tほどである。
アジアゾウに比べて体が大きく肩までの高さが高い。
ベレー帽のような形の頭、大きく曲がった牙、小さな耳に特徴がある。
約2万年前の氷河期の寒冷化と、人類の狩猟により絶滅したと考えられる。
云々。。。

「群馬県立自然史博物館」です。
当日開催されていた企画展「深海の生物」もヒジョーに面白かったのですが、
常設してある展示コーナーもなかなかな面白さっ。


(写真はクリックで大きくなります。)
宇宙、地球から始まり、
生物の誕生~、までテーマごとに分類されています。
〝崖の上のポニョ〟に出てきたようなのが。。。



大昔の古代生物。植物だか動物だかわからないものから
巨大な虫みたいなものや、魚の先祖、ワニみたいなものまで。

発掘現場の再現。
天井がガラス張りになっていて真上から観ることができますが、
1歩も踏み出すことが出来ませんでしたっ(汗、、、

お馴染み〝ティランノサウルス〟。
かなりの迫力です。コレ、時々動きます。

ドデカな恐竜の足の骨格。
人の大きさと比べると。。。
これじゃあ人間なんて、ひと飲みだなぁ。



クジラとカバの祖先の化石。とその模型。
クジラってカバに一番近い種類なんですってー。
知らなかった?!

「群馬県立自然史博物館」です。
偶然にも立ち寄ったこの日、「深海の生物」と題された
企画展が開催されていました!
深海ですョ~。興味アリアリ♪
by 富岡市。

入り口正面に展示されていた「リュウグウノツカイ」。
深海のイメージって、やっぱりこの魚でしょうか?!
=== 案内より ===
リュウグウノツカイ
リュウグウノツカイは大きな個体では体長が5.5mにも達する魚類です。
体は銀色でとても細長く、朱色の背鰭が特徴的で、前方の背鰭は
とても長く伸びています。
彼らの生態はよくわかっていませんが、深海では頭を上にして、
立った状態で泳いでいると考えられています。
云々。。。

巨大なダンゴムシみたいのは「ダイオウグソクムシ」。
50cm以上ある?!

「深海ザメ」の仲間や、
中生代にサメ類から分かれて進化した「エイ」の仲間。

水深200mよりも深い外洋に生息している魚を
「深海魚」と呼ぶそうです。
深海という特殊な環境に対応して、目が発達していたり、光を出すものがいたりと、
一見風変わりな特徴を。。。と、案内されていましたが、やっぱり変な形!
見た目のインパクトの凄い魚が揃っています~。
![砂防堰堤。[高崎市]](https://blog-imgs-53-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/1208harunajinja-2-5.jpg)
榛名山番所跡から向こうに見える滝。
マイナスイオンたっぷりで、なんとも涼しそう♪
![砂防堰堤。[高崎市]](https://blog-imgs-53-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/1208harunajinja-2-6.jpg)
「砂防堰堤 さぼうえんてい」であります。
昭和30年、当時の高度な石積技術を用いて建設された砂防堰堤。
高さ17メートルの練石積粗石コンクリート構造!
![砂防堰堤。[高崎市]](https://blog-imgs-53-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/1208harunajinja-2-9.jpg)
=== ウィキペディアより ===
砂防ダム
砂防ダム(さぼうダム)とは、小さな渓流などに設置される
土砂災害防止のための設備(砂防設備)のひとつ。
砂防法に基づき整備され、いわゆる一般のダムとは異なり、
土砂災害の防止に特化したものを指す。
![砂防堰堤。[高崎市]](https://blog-imgs-53-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/1208harunajinja-2-7.jpg)
近年ではダムとの区別化を図るために砂防ダムとは呼ばず、
砂防堰堤(さぼうえんてい)と呼ぶ方が正しいとされる。
云々。。。
滝の向こうに見えるのはなんだろ?。。。

久しぶりにやって参りました「榛名神社」です。
正面に見える「二之鳥居」。
なぜ2番目の鳥居かと言いますと、最初の鳥居は
ずいぶん麓の方にあるのです。こちら↓
○ 榛名山麓、榛名神社の一之鳥居。 ★高崎市



(写真はクリックで大きくなります。)
「随神門」をくぐり、
「秋葉神社」の朱色の鳥居を右に見て、
3つ目の「三之鳥居」が現れるところ、

こちらに「狛犬」くんがいらっしゃいます。

そして、「三重塔(神宝殿)」。
三重塔を通り過ぎてから、振り返って撮ったの図。
ささ、もう少し進みましょう。

先日行われた公演の時にいただいたチラシ。
新宿歌舞伎町です。URGA。
ナニゲに凄くオモシロソウ。
「舞踏×ジャズ 共犯的戯レゴト」
日 時/2012年8月23日(木) 開場19:00 開演19:30
会 場/新宿URGA
入場料/前売り2500円・当日3000円
出 演/工藤丈輝(舞踏)、林栄一(as)、瀬尾高志(b)
アドレス/http://www.urga.net/
以前のライブはこちらから。
○ 銅騎士 Akagane-kishi 工藤丈輝×石坂亥士。有鄰館酒蔵にて。[桐生市]
【新宿URGA】
@新宿区歌舞伎町2-42-16 第2大滝ビルB1
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こちらは職場の近くで見つけた「抜け殻」。

今頃セミになって、
どこかで鳴いているんだろうなー、みたいな感じです。
ウムム。。。
以前の記事はこちらから。
○ セミの脱け殻 2011。
○ 温川キャンプ場 nurukawa campground にて。 [東吾妻町]


(写真はクリックで大きくなります。)
東吾妻町の「浅間隠温泉郷」。
このエリアには3つの温泉があります。



今回お邪魔したのは鳩ノ湯温泉「三鳩楼」さん。
ぬる湯だと聞いていたので、暑い日には良いですよねー。
入浴の心得みたいなものと馬の絵が飾られています。
(昔群馬は馬の産地だったからかな?)
懐かしい雰囲気の帳場であります。

「内湯」です★
なんと木で蓋がされていますっ。
=== 案内より ===
御案内
内湯の風呂は、檜の板でフタがして有りますが、
江戸時代(寛保年間1741年)より温泉効果、檜の効果を大切に、
現在まで伝えられて来た歴史を守っておりますので、
入浴のとき多少面倒だと思いますが、入り方に工夫をしていただき、
江戸時代の武士達が、のんびりと入浴している姿を思いうかべながら、
ゆっくりと温泉を楽しんで戴けたら幸いに思います。
三鳩楼帳場
云々。。。
![榛名山座主の森。 [高崎市]その1](https://blog-imgs-53-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/zashunomori-1.jpg)
高崎市です。
倉渕町を通る国道406号線。この辺りですと、手前の中室田町にある
「キッス地蔵」を観に来たことがあったなー。
こちら↓
○ ぶちゅ~~、っと!中室田の道祖神 ★高崎市
今回、いくつかピックアップしての
倉渕町でありますっ。
![榛名山座主の森。 [高崎市]その3](https://blog-imgs-53-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/zashunomori-3.jpg)
=== 案内板より ===
榛名山座主(ざす)の森
この塚は榛名山座主、快尊、中尊、快承三人の墓と言い伝えられる。
鎌倉期のものと推定される多重塔の残部と、室町時代の初期に建てられたもの
と思われる二基の板碑がある。
快尊、中尊は藤原道長四代の孫、関白忠実の子孫といわれ、
京都から榛名山に入り代々座主職を世襲した。
快尊は榛名山第四代の座主で、忠尊、快承はその子である。
![榛名山座主の森。 [高崎市]その2](https://blog-imgs-53-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/zashunomori-2.jpg)
この父子は、同じ榛名山に住むの頼印と戦い、
烏川沿岸で討ち死にしたという。
快尊、忠尊は観応3(1352)年、快承は文和2(1353)年に死亡したと
記録に残されている。
![和処 司さん。[足利市]その1](https://blog-imgs-53-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/1208tsukasa-1s.jpg)
![和処 司さん。[足利市]その2](https://blog-imgs-53-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/1208tsukasa-2s.jpg)
いやー、今日も暑かったですっ(汗、、、
お昼過ぎからずぅーっと生ビールに有りつきたくて。
足利市にある和食のお店「和処 司」さんです☆
ジョッキまでキンキンに冷えた生ビール♪
凍る~っ、みたいな。
おばんざい的なお通しで、美味しく野菜がいただけるのもウレシイ。
![和処 司さん。[足利市]その3](https://blog-imgs-53-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/1208tsukasa-3.jpg)
「生ビールだったらこれでしょ!」と、
マスターがカウンターから出してくれたのは「トウモロコシ」。
あまぁ~っい、ですっ。ジュバってジューシーで。
夏デス。
![和処 司さん。[足利市]その5](https://blog-imgs-53-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/1208tsukasa-5.jpg)
ようやく身体がcooldownしたところで、日本酒にチェンジ。
那須のお酒「大那・純米酒 蛍」をお願いしました。
ちょっぴりビネガーの効いたドレッシングの「フルーツトマト」。
お酒の美味しさとトマトの酸味が心地よく、クイクイと行けてしまいます。
要注意の組み合わせかも(笑