
松本市・浅間温泉「東石川旅館」さんです。
蔵造りの渋い建物、純和風で落ち着きのある部屋。
しかし何よりも24時間入浴できて、源泉かけ流し★
これに惹かれました♪
こちらは内湯です。
外には庭園露天風呂。

初めての浅間温泉。
アルカリ単純泉で、肌がつるつるになる美人のお湯系。
神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・冷え性などに効くのだとか。
松本城も近いし、良いかなぁ~、なんてなんとなくでしたが、
開湯1300年以上を誇る信州の古湯。
ナニゲにその歴史は深かった。。。
浅間温泉の起こり。それは古代にまでさかのぼります。
日本書紀によると天武天皇が白鳳13年(684)に、
「・・・信濃国に遣わして地の形を見しむ。特に是の地に都せんとするか」、
翌年14年には
「・・・信濃に遣わして行官を造らしむ。蓋し束間の温湯に幸せんと擬すか」
と記されています。

松本市「浅間温泉」です。
温泉街の一角にある「下浅間薬師堂」。
ひっそりとたたずんでいる小さなお堂です。
ここにあるのが「本州中央の地」の石碑。
前にもあったなぁ、日本の中心地↓ 全国あちこちにあるようです。
○ もりそばと、よもぎの湯。 [佐野市*蓬山ログビレッジ]

そしてこちらが、薬師堂の由来であります★
=== 案内板より ===
下浅間薬師堂の由来
一、この付近の地名を念仏田といい、武田信玄がこの地を支配していた
永禄4年(1561)5月念仏寺が創建され、寛永2年(1625)大村へ移り
清光寺となり寛文9年(1669)玄向寺と改めた。
その跡地に薬師堂が建立された。
一、薬師堂の創立年代は不明であるが、古くは上浅間の横谷沢沿い
荒湯源泉の上に祭られていた。「現在の第2号源泉付近」
境内右側の石堂内石仏は、元禄11年(1698)頃、横谷沢の大水により
湧き出た源泉中に沈んでいたのを発見したと伝えられている。
一、寛保2年8月1日(1742)横谷沢の大水害の後、35軒が下浅間へ移住したときに、
薬師の湯と共に移して下浅間の守護のため建立された。


今日は中華にしようか?
ついつい足を運んでしまうのが、足利市にある「粋圓」さん。
いつきてもキレイで落ち着いた店内、癒されますぅ~。
静かなBGMが心地よい、平日ランチタイムでございます♪

まずは「スルメイカのミミの塩辛」。
新鮮じゃないとできない塩辛。ミミの部分だけを使うなんて、なんとも贅沢。
コリコリ感がたまりません~。
ワタを和えないで、添えるところがオシャレですなぁ。

お酒が飲みたくなるのは当たり前でございまして、
「美丈夫・特別本醸造」を。高知の地酒です。
香りが良くて、まろやかで~、そしてキリリとスッキリ。
旬のお酒です。いいですね~。
「ハツの焼き物」。
味がしっかりきいていて、
そして柔らかい~ちょい焦げ目がこれまた美味しい。
お酒も2杯目突入→

カウンターにあったなにやら怪しい瓶(笑
調味料自動発酵装置だとか。。。

長野県松本市です。
以前松本城を観に来て以来だから2年ぶりです。
そして松本市街から車で20分ほど、
「浅間温泉」であります。

先ずは神社からっ(汗、、、
温泉街の北に位置する「御射神社」です。
〝御射〟と書いて〝みさ〟と読みます。
こちらの神社さんは春宮。ということは秋宮があるわけです。


「鳥居」より右に行くと「稲荷神社」。
鳥居をくぐってすぐにある「ご神木」。

=== 案内板より ===
御射神社春宮の道祖神
双体道祖神
寛政11年(1799)正月吉日 浅間村と刻む


(写真はクリックで大きくなります。)
文字道祖神
天保10年(1839)己亥正月建立 上浅間村と刻む
双体道祖神
宝暦7年(1757)丑正月と刻む
本郷地区では、古い道祖神
三体とも上浅間や下浅間の辻道にあったが
道路拡張のため神社境内に移された
云々。。。

戸倉駅から大正橋を渡って突き当たり。
「佐良志奈神社」があります。
こちらの神社さんは社殿を背にして、
それぞれ左と右に「鳥居」があります。
こちらは右手の鳥居。

正面社標は、正親町三条実愛(おおぎまちさんじょうさねなる)卿の書であり、
側面の撰文並びに書は佐久間象山によるものである。
当社神主松田直友は、京都に於いて実愛卿との知遇を得てこの書を戴くと共に、
卿の姑柳原大夫人よりさらしなの里の歌を賜り、社頭の栄として
建立したことが碑文に記されている。
佐久間象山は直友と親交があり度々この地を訪れている。
文字は謹厳な隷書体で社蔵の大幟と共に象山の名筆であ。
明治の町村合併に際し、更級村と改名することを許可される
根拠となった社標である。
月のみか 露しもしぐれ 雪までに
さらしさらせる さらしなの里
文久元年(1861年)建立
云々。。。


鳥居からすぐ入ったところにある
「高良社」と「秋葉社」。

そして「稲荷社」。

手前「手水舎」と、奥に「社務所」。

境内には「土俵」もあります♪

=== 展示資料より ===
荒砥城では平成18年12月、NHK大河ドラマ風林火山のロケが
行われました。撮影は主役の勘助を演じる内野聖陽さんほか
武田晴信役の市川亀治郎さん、板垣信方役の千葉真一さん、
平蔵役の佐藤隆太さん、相木市兵衛役の近藤芳正さんらが参加して
行われました。
云々。。。

===
五輪塔・多宝塔・宝篋印塔(ほうきょういんとう)
(力石 今里地籍出土=今里氏居館跡か)
これらの仏塔は、インドなどで造られたストゥーパ(お釈迦様の遺骨=仏舎利などを
奉納し供養するために造られた塔などのこと)に端を発し、
日本では卒塔婆など供養塔や墓標等として、平安時代から
造られ始めたものです。
この五輪塔・多宝塔・宝篋印塔は、力石の今里地籍の調査によって
出土したものであって、一部分が新しく補充されて完形となっています。
宝篋印塔には、「応永29年」(1422)との記年銘があり、
製作された時期が明確です。
従って、村上氏の支族今里氏の活躍した時間的な位置も自ずと知れるものです。
また今里遺跡からは火葬の骨蔵器、古瀬戸灰釉の瓶子や板碑の破片も出土し、
注目されています。
仏像群とともに、中世豪族の仏教的世界をかいま見ることができる
貴重な資料です。
云々。。。

===
寄合出土の古常滑大甕(ことこなめおおがめ)
この古常滑大甕は、千曲市寄合遺跡(寄合氏居館跡か)から出土したものです。
同遺跡からは、他に中世の石組み井戸址や鍛冶址が隣接して発見されています。
甕の表面に“押印”のあとが四段観察できることから、五回にわけて
製作されたことがわかります。従ってその製作時代は、鎌倉時代のものと
考えられ、折端口縁の優品であります。また製作地は現在の愛知県
常滑一帯であったものと考えられ、交易品としてはるかこの地に
もたらされたものです。
この大甕の出土した寄合は、村上氏の支族寄合氏の居館と推定されますが、
中世寄合の合議制が地名や豪族名になって今日まで伝えられていることは
注目に値します。
大甕には、胴部下半に内部からの加撃による直径10cm程の破壊孔が
あることに気付きます。
内部から棒状のもので意図的に加撃したものと推察されます。
それは、槍の石突きによる一突きで内部から付き抜いたものかも知れません。
鎌倉・室町時代という激動の中で、埋没井戸跡と言い
地方豪族の盛衰を物語る好資料です。
云々。。。

「千曲市城山史跡公園」です。
戦国時代、「荒砥城 arato-jo」というお城があった場所であります。
=== リーフレットより ===
荒砥(あらと)城は今から約400年前に、この地を治めていた村上氏の一族である
「山田氏」によって築かれた城で、郭(くるわ)が連なるように並んでいるところから、
『連郭式山城』と呼ばれています。


この時代は、全国各地で戦が繰り広げられていた戦国時代という時代です。
この地も例外ではなく、荒砥城と千曲川をはさんだ対岸の山頂に築かれた
葛尾(かつらお)城の城主村上義清は、上田原の戦い(1548年)や
戸石城の戦い(1550年)では武田信玄との戦に勝ち、領地を守ってきましたが、
武田軍の圧倒的な軍勢の前に、1553年、ついに葛尾城は落城し、
荒砥城もこの戦いで城主を失い、山田氏は滅亡してしまいます。

その後、川中島の戦い(1553年~1564年)を経て
荒砥城は上杉氏の治める城となりますが、海津城の副将であった屋代秀正は
上杉方に背き、海津城を出て荒砥城に篭ります。
1584年、上杉軍に攻められた荒砥城は落城して廃城となり、
城としての役割を終えます。
云々。。。

山城ですから、穏やかとは言え上り坂が続きます(汗、、、
「二の郭」にある見張り台の「櫓」です。



(写真はクリックで大きくなります。)
眼下には、千曲川、戸倉上山田温泉を見下ろし、
ヒジョーに良い眺めであります。
絶景かな。

お通しは「茄子の煮浸し」。
綺麗な色なんですねー。美味しい♪
たくさんのお客様で賑わっている店内。
私はカウンターに陣取って。
前回に引き続き、太田市にある「杏」さんですっ。

「鮪の赤身」。
ぐぐっ、と旨みが詰まったような赤身です。
美味しい赤身ってすごく嬉しくありませんっ?!
上品な味わいのワサビ醤油も又ウレシイ。

「イカの塩辛」。
トップに乗っているのは〝カニミソ〟。
良く和えて召し上がってください~、とご主人。
しばらくすると味がなじんで、もっと美味しくなるのだそうです♪

ちなみにこちらは作りたての塩辛。
イカとイカのワタ、それに塩が
まだ一つにまとまっていなくて、バラバラな感じです。
なるほど~、こういうことなんだー。


「インド料理 スーリヤ surya」さん。in 足利市。
「いらしゃいまっしぃ~。」
って、以前はシリナマステさんがあったところです。
またリニューアルしたのかな?
コロナビールのオツマミで出していただいた「パパド」と、
セットメニューの「サラダ」。

今日はランチタイムの「タンドリーセット」デス。
大きな「タンドリーチキン」♪

そしてこれまた大きな「プレーンナン」。
甘みがあります。
ナン、好きです☆

ドリンクは、コーラ、コーヒー、紅茶、ラッシーなど、
数種類の中から選べます。
私は「マンゴーラッシー」をお願いしました★

「松田川ダム」です。
松田湖、展望台近くに「赤雪山遊歩道」への登り口があります。
こちらはその案内図。
と、〝足利の伝説〟より抜粋されたらしき案内板があります★
=== 案内板より ===
足利の伝説
足利又太郎忠綱は藤原性で成行からかぞえて4代目になる忠綱は
足利義兼の客分であって、義兼のかわりに館の留守を守っていた。
半年ぶりに帰館した義兼は、侍女の藤野による「時子夫人と忠綱が不義をした」
というざん言を聞き、これを真に受けて怒りだした。
忠綱は危険を避けるため数人の従者を従い北の山岳地帯を目ざして馬を走らせた。
矢傷を負った忠綱は、ただ一人皆沢に落ちていったが追手に取り囲まれ、
ただ一人で追手の中に斬り込んでいった。
その状況はまるで夜叉が暴れだしたような戦いぶりたったと伝えられている。
討ち死にを覚悟した忠綱は、追手の放った矢を受け、悲壮な最期をとげた。
云々。。。
足利義兼さんのいない間、ばんな寺の留守を預かっていた
忠綱さんの話ですねー。
今までにも何度か紹介したことのあるお話です☆
○ ばんな寺の開かずの井戸!? ★足利市
○ 足利忠綱を祀る。。。 桐生市★皆沢八幡宮
○ 鑁阿寺と逆さ藤天神 ★足利市
○ 足利 ばん阿寺
いきなりですが「草津温泉」です!
湯畑から町役場方面へ向かう坂の途中、
「居酒屋 たに咲」さんにお邪魔しています♪

カウンターに陣取りまして、先ずはの生ビール。
そして赤ワインをボトルで。
お通しは「六合村のキュウリ」。
初めていただいた六合村産。ちょっと違いますっ。
キュウリらしくないキュウリと言うのでしょうか、
肉厚でボリューム有り★ 若いメロンのような印象デス。

野菜はたくさん摂りましょう。
「嬬恋高原キャベツと草津豆腐のサラダ」。
これも甘いんです、キャベツ。
濃厚なお豆腐にマヨネーズベース、そして豆板醤でしょうか?
ちょっとだけピリ辛のドレッシングが良く合います。
美味し★

「馬刺し」。霜降りです。
やわらかで上品なお味。
ニンニクか生姜醤油かはお好みで!
湯畑から町役場方面へ向かう坂の途中、
「居酒屋 たに咲」さんにお邪魔しています♪

カウンターに陣取りまして、先ずはの生ビール。
そして赤ワインをボトルで。
お通しは「六合村のキュウリ」。
初めていただいた六合村産。ちょっと違いますっ。
キュウリらしくないキュウリと言うのでしょうか、
肉厚でボリューム有り★ 若いメロンのような印象デス。

野菜はたくさん摂りましょう。
「嬬恋高原キャベツと草津豆腐のサラダ」。
これも甘いんです、キャベツ。
濃厚なお豆腐にマヨネーズベース、そして豆板醤でしょうか?
ちょっとだけピリ辛のドレッシングが良く合います。
美味し★

「馬刺し」。霜降りです。
やわらかで上品なお味。
ニンニクか生姜醤油かはお好みで!