![伊香保まつり2015と、再会さん。[伊香保温泉]](https://blog-imgs-82-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/ikahomatsuri2015-1.jpg)
9月20日(日)、夜。
「ホルモン 哲」さんを後にして、やって参りました石段街。
やってます、やってます!
これ、どんなことになってるんだろ?ってくらいのケンカ神輿。
![伊香保まつり2015と、再会さん。[伊香保温泉]](https://blog-imgs-82-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/ikahomatsuri2015-2.jpg)
「伊香保まつり」2015です!
![伊香保まつり2015と、再会さん。[伊香保温泉]](https://blog-imgs-82-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/ikahomatsuri2015-3.jpg)
おぉーっ。。。
カッコいいっ。
![伊香保まつり2015と、再会さん。[伊香保温泉]](https://blog-imgs-82-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/ikahomatsuri2015-4.jpg)
もみくちゃになりながら、
あっちへドカンッ、こっちへドカンッ!と、
石段を少しずつ上がって行きます。
で、ここからがまた長い(笑
と言うわけで、伊香保神社へ到着するまでの間、
近くの居酒屋さんで1杯飲りながら待つことにします☆
![西方山古墳。[栃木市]](https://blog-imgs-82-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/nishikatayama-1.jpg)
そう、あれは確か天気のあまり良くない日だったと思います。
ちょっと一息入れるのに立ち寄った東北道「都賀西方PA」。
「あれ?、あれあれあれあれ~?!」
PAの一画でぽっかりと口を開けている石室。
![西方山古墳。[栃木市]](https://blog-imgs-82-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/nishikatayama-3.jpg)
「石方山古墳」でありますっ♪
まさかの高速道路のPA内で、
古墳とご対面出来るとは思っても見ませんでしたー。
PAにある古墳といえば、上信越道の甘楽PA以来ですっ↓
○ 甘楽PAにて。 [甘楽郡甘楽町]
![西方山古墳。[栃木市]](https://blog-imgs-82-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/nishikatayama-5.jpg)
=== 案内碑より ===
西方山古墳の石室保存について
本古墳は東北自動車建設に伴い、下り線パーキングエリア後方の西方山を
土取に選定し調査した結果、この山に西方山古墳群が存在していることが判明し、
栃木県教育委員会の協力により西方山古墳群のうち
第4号墳を移築したものであります。

村上市にある「おしゃぎり会館」です。
おしゃべりじゃないですョ、おしゃぎりです。
「おしゃぎり」と呼ばれる山車を展示してある郷土資料館であります。
=== 案内板より ===
「おしゃぎり」とは
「おしゃぎり」とは、村上では「お祭りに引き回される屋台(山車)」のことを言います。
そのいわれは、今からおよそ270年前頃(享保19年)のお祭りの様子を
記録した文書に「しゃぎり屋台も町々この頃は初めて種々たくみを尽くし、
壮麗を極めて、年々あらたにできたり・・・」と書き残していることから、
この「しゃぎり屋台」と言われていたものを「おしゃぎり」と言い伝えてきたことに
よると思います。

また「しゃぎり」の意味は、日本国語大辞典には、「民俗芸能や祭礼などの
練りもの行列の途中で笛に太鼓・鉦(かね)をまじえて奏する囃子(はやし)」
と記されていることから「しゃぎり」とは、もともとは村上祭りにかなでられる
「おはやし」をさしていたものと思われます。
云々。。。
市内の町ごとにいろいろなおしゃぎりがあるようです。
これは大工町のもの。
===
大工町
運行順・4番目、 制作年代・寛政8年(1796)
乗せ物・高砂、 見送り・松
大工町は、町名の示すとおり、昔は大工さんが大勢住んでいた町で、
屋台の構造や技法に、職人の技がしのばれます。
特に少人数でも曳き回しができるように、軽量化の工夫が施されています。
乗せ物は謡曲の高砂の翁(尉)と姥で、夫婦の和と長寿を意味しています。
云々。。。

上方町屋台の見送り。

===
大町
運行順・2番目、 制作年代・明治7年(1874)
乗せ物・諌鼓に鶏、 見送り・なし
大町の屋台は、明治5年の大火で焼失後、焼け残った部材を活かし、明治7年に
再建され、昭和9年には新たに彫と塗りが施されました。乗せ物は諌鼓に鶏で、
諌鼓とは昔中国で君主に諌言したいものに打たせた太鼓の事で、
鶏はその太鼓が必要のない意味を表現し、平和の象徴とされています。
また、江戸時代初期に大町の人が、羽黒神社を現在地に移したお祝いに、
お城から大八車を借りて太鼓を乗せ、城内を曳き回したのが、村上大祭の始まりと
伝えられています。
云々。。。

やって参りました「笹川流れ」。
天然記念物にも指定されている名勝であります。
5年ぶりになるでしょうか?
遊覧船が出港するまでの時間、
2Fの待合所「海カフェ」からの眺めです。
天気にも恵まれていいネ!

ではでは。行ってきまーすっ!
こちらの奇石の景観は、この地に語り継がれている
義経伝説と共にガイドされます☆
=== リーフレットより ===
義経伝説
1186年、兄の頼朝に追われた義経一行は奥州平泉をめざし、
京の都から北上しました。
越後路を海岸づたいに馬を走らせ、村上市馬下(うまおろし)まで歩みを進めましたが
「笹川流れ」は切り立った断崖のため、漁師の案内で航路で
山形鼠ヶ関へ上陸しました。
義経は労を共にしてきた愛馬を心配し、馬に浮沓(うきぐつ)を履かせ
粟島へ逃がしました。
昔、粟島には野馬が60頭もおり、最後の1頭は昭和7年に死んでしまいましたが、
この馬の先祖が義経の愛馬と言い伝えられています。
云々。。。

義経さんがこの岩を見てニヤニヤしたという「ニタリ岩」。

もともとはメガネの形でしたが、地震で崩れてしまったという「眼鏡岩」。

海ですっ!
やって参りました村上市「瀬波温泉」んっ。


(写真はクリックで大きくなります。)
チェックインまでの間、少しだけ海水浴です。
とは言ってももうこの季節。クラゲも多く入ることは出来ません(汗、、、
寒いし。。。



というわけで、今夜のお宿は海沿いに建つここ。
「大観荘」さんであります。
今回は道路の向かい、別館「波月」を利用した格安のプラン♪


お部屋から海を見ることは出来ませんが、
露天風呂付きの客室なのであります。
これはもうお風呂に入り放題の至れり尽くせり☆
大浴場に浸かり、また部屋にもどって浸かり。
まさしく温泉三昧!
部屋に付いているお風呂の方が、湯船が小さいので
温泉が分かりやすいです。オイルっぽいにおいのするお湯です。
くたくたになるまで浸かろうかな。
で、ちょい昼寝(笑