![男女神社。nannyo-jinja [佐賀県佐賀市]](https://blog-imgs-94-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/nannyo-jinja-10.jpg)
「男女神社 nannyo-jinja」です。
〝今山の合戦〟の案内を拝見してから、
さぁ、神社さんに参ろう★
![男女神社。nannyo-jinja [佐賀県佐賀市]](https://blog-imgs-94-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/nannyo-jinja-9s.jpg)
![男女神社。nannyo-jinja [佐賀県佐賀市]](https://blog-imgs-94-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/nannyo-jinja-6s.jpg)
![男女神社。nannyo-jinja [佐賀県佐賀市]](https://blog-imgs-94-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/nannyo-jinja-7s.jpg)
(写真はクリックで大きくなります。)
「手水舎」と「狛犬」クン。
お尻を高く上げた、特徴的なポーズです。
![男女神社。nannyo-jinja [佐賀県佐賀市]](https://blog-imgs-94-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/nannyo-jinja-13.jpg)
「御神木」。
山の上にある神社さんですから、
とても良い眺めがあります。
![男女神社。nannyo-jinja [佐賀県佐賀市]](https://blog-imgs-94-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/nannyo-jinja-11.jpg)
周りに広がるミカン畑。。。
===
男女神社(旧村社)由来記
御祭神 伊奘諾尊(イザナギノミコト)
御祭神 伊奘冉尊(イザナミノミコト)
神社の祭神は男女二神である処から縁結び並商売繁昌農の神で
古来より尊崇されている。元亀元年(1570)今山の陣で兵火の為、
宝物古文書等焼失し、その創建年月は不明であるが、少なくとも今より
650年以前に創建されていたと推定される。
![男女神社。nannyo-jinja [佐賀県佐賀市]](https://blog-imgs-94-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/nannyo-jinja-1.jpg)
佐賀市にある「男女神社」、一之鳥居です。
ここからしばらく山の方へ上って行きます。
![男女神社。nannyo-jinja [佐賀県佐賀市]](https://blog-imgs-94-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/nannyo-jinja-2.jpg)
手前にある駐車場へ車を停め、
〝おぉ~っ、これだぁ。。。〟
ようやく男女神社ですっ。
この辺りは〝今山の合戦〟が繰り広げられた場所でもあり、
その合戦についての案内もありました★
〝佐賀の桶狭間〟とも云われる、スゴイ戦だったようです。。。
=== 案内板より ===
今山の合戦と男女神社
今山の合戦とは、戦国時代、豊後の国(大分県)の大名、大友宗麟と、
肥前の国(佐賀県)の大名、龍造寺隆信との合戦で、
龍造寺の家老の鍋島直茂侯(後の佐賀藩祖)が、この今山の地で、
大友6万の大軍に僅か700の兵で奇襲し、
総大将大友貞親(宗麟の弟、又は甥)を討ち取った戦いである。
当時この地は仏教繁栄の霊地で、男女神社は、東の谷に講堂棟、
西の谷に楼門を持つ大社であり、光明寺(男女神社南東約800メートルに位置し、
今は廃寺)の座主(最高位の僧侶)が、男女神社の神座を勤めていたが、
この戦いの日に戦火に焼かれ、宝物・古文書等は全て焼失する。
![ピッツェリア ピノッキオ。[足利市]](https://blog-imgs-94-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/1604pino-1.jpg)
足利市にある窯焼きピッツァのお店、
「ピッツェリア ピノッキオ」さん。
焼き立てのピッツァが食べたいなー、と
ディナータイムにお邪魔しました★
![ピッツェリア ピノッキオ。[足利市]](https://blog-imgs-94-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/1604pino-2.jpg)
napoli、roma、milano、と3つあるセットメニューの中から、
〝napori〟をお願い★
最初はサラダ。
ひょっこり、温玉の乗った「シーザーサラダ」です。
とろ~り、シャキシャキ。
グラスの白ワインをクピッとやりながら、やっつけよう!
![ピッツェリア ピノッキオ。[足利市]](https://blog-imgs-94-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/1604pino-3.jpg)
ワインの後は麦焼酎のハイボールを♪
オツマミに、アラカルトメニューから「牡蠣とキノコのアヒージョ」。
ぐつぐつでアッツアツのオイルをバゲットにひたして、パクっ!
ガーリックの風味、旨みたっぷりのオイルがじゅわっ。
これが好きなんです~。
お酒がお酒が進むクン(=∀=)
![楠神社。[佐賀県佐賀市]](https://blog-imgs-94-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/saga-kusunoki-1.jpg)
龍造寺八幡宮と同じ敷地内にある「楠神社」です。
楠正成公を祀った神社さんの中では、
一番最初なのだそうです。
![楠神社。[佐賀県佐賀市]](https://blog-imgs-94-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/saga-kusunoki-3.jpg)
=== 案内板より ===
本邦創祀 楠神社
御祭神 正一位 楠正成命
御祭神 従二位 楠正行命
例祭 5月25日
~今もなほ 天津日嗣の御世ぞかし 守らせ給へ 楠の神~種臣
寛文3年(1663)佐賀藩の国学者 深江信渓大木英鉄等が
京都の仏師法橋宗南に托して楠公父子桜井駅訣別の像を作成し、
佐賀郡北原村の永明寺に安置したのに始まる。
![楠神社。[佐賀県佐賀市]](https://blog-imgs-94-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/saga-kusunoki-2.jpg)
降つて嘉永3年(1850)楠公義祭同盟が結成され、
安政元年(1854)地を龍造寺八幡宮境内に移して楠神社を建立し
この尊像を御神体として奉祀し毎年義祭を盛大に行った。
明治維新の元勲として国事に盡瘁した佐賀藩の大先輩
江藤新平、副島種臣、大隈重信等はことごとくこの同盟に加わり
後年世に出て名をなした。
云々。。。
![龍造寺八幡宮。[佐賀県佐賀市]](https://blog-imgs-94-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/ryuzo-ji-8-1.jpg)
特異な形をした鳥居が建ちます。
以前拝見した福岡の筥崎宮と同じタイプかな?
肥前鳥居と言うのだそうです。
というわけでやって参りました「龍造寺八幡宮」ですっ。
in 佐賀市。
![龍造寺八幡宮。[佐賀県佐賀市]](https://blog-imgs-94-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/ryuzo-ji-8-2.jpg)
鳥居の向こうには大きなクスノキが茂ります。
=== 案内板より ===
鳥居は慶長9年(1604)佐賀藩藩祖鍋島直茂の北方藤女が奉献したもので、
笠木の長さ4.08メートル高さ3.40メートルである。
石柱の下部は生け込みとなっていて、笠木は太い柱に対して薄手で
木鼻はゆるやかに反る特有の形式である。
云々。。。
![龍造寺八幡宮。[佐賀県佐賀市]](https://blog-imgs-94-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/ryuzo-ji-8-3.jpg)
神橋をはさんで3つ連なる朱色の鳥居。
![龍造寺八幡宮。[佐賀県佐賀市]](https://blog-imgs-94-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/ryuzo-ji-8-4s.jpg)
![龍造寺八幡宮。[佐賀県佐賀市]](https://blog-imgs-94-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/ryuzo-ji-8-5s.jpg)
(写真はクリックで大きくなります。)
小さな「石祠」と「手水舎」。
===
祭神 八幡大菩薩 稲荷大明神
元禄14年(1701)唐人町のある大店に祀られ時を経て
昭和33年(1958)同町鏡円寺に遷す。
さらに平成27年(2015)当宮へ遷座す。
左面扉は行方不知
云々。。。
![龍造寺八幡宮。[佐賀県佐賀市]](https://blog-imgs-94-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/ryuzo-ji-8-14s.jpg)
![龍造寺八幡宮。[佐賀県佐賀市]](https://blog-imgs-94-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/ryuzo-ji-8-13s.jpg)
手水舎の脇を通って境内に用水が流れています。
かつて水不足に悩まされた佐賀城下を潤した、
市内各所を走る水路なのだとか。
===
多布施井樋水路
多布施川開運橋北から分水、東流し元町水路に入る。
云々。。。
![龍造寺八幡宮。[佐賀県佐賀市]](https://blog-imgs-94-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/ryuzo-ji-8-6s.jpg)
境内社の「恵比寿社」。
===
龍造寺八幡宮略記 (通称 佐賀八幡宮)
由緒沿革
当八幡宮は龍造寺家の始祖南次郎季家公が建立し龍造寺八幡宮と称した。
季家公は平家追討の功により源頼朝から佐賀地方の地頭職に任ぜられ、
文治3年(1187)居城内に神殿を創建し鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮分霊を勧請して
龍造寺家一門、武家の守護神又佐賀の鎮護の神として歴代手厚く祭祀を営んだ。
降って慶長12年(1607)鍋島初代藩主勝茂公は佐嘉城築城に際し
之を八幡小路に遷座し宏荘華麗な社殿を造営して寄進した。
慶長9年には藩祖直茂の室藤の方が肥前鳥居を奉納して聖上萬歳、
国家安穏、一門の弥栄を祈念している。(現佐賀市指定重要文化財)
かくて歴代の領主は佐賀の開府の神、佐嘉城の鎮守として尊崇の念深く
鍋島家の産土神として事ある毎に報告又は祈願を成し一般の参詣も許した。
猶社殿の営繕は元より、毎年の祭祀料一切は藩費を以て支弁された。
廃藩置県後その制度はなくなり爾来氏子において一切を奉仕することになった。
明治33年市区画整理により社殿を後方に引く、
更に昭和3年境内に拡張に伴い現在地に引いた。
境内には楠公父子を祀る我が国最古の楠神社がある。
云々。。。
![久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市]](https://blog-imgs-84-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/kurisouzui-kofun-1.jpg)
佐賀県唐津市です。
邪馬台国や末廬国の匂いが漂ってきそうな、
そんな歴史ロマンあふれる古墳。。。
そう、この古墳こそが「久里双水古墳」なのですっ!
![久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市]](https://blog-imgs-84-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/kurisouzui-kofun-2.jpg)
ちょっと大げさカナ(汗、、、
久里双水と書いて〝くりそうずい〟と読みます。
日本の前方後円墳の最初ではないかと云われている古墳です。
史跡公園として整備されているので、広々としています★
先ずは1つ目の案内板~♪
![久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市]](https://blog-imgs-84-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/kurisouzui-kofun-4s.jpg)
![久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市]](https://blog-imgs-84-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/kurisouzui-kofun-3s.jpg)
(写真はクリックで大きくなります。)
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双水迫古墳群(そうずいさここふんぐん)
双水迫古墳群は、久里双水古墳前方後円墳につづく南東丘陵に位置する方形、
円型の5基の周溝墓群です。墳形は10メートルから12メートルの規模で、
幅0.4メートルから1.2メートルの周溝をもっています。
~中略~
副葬品は1号墳が鉄剣1、刀子1、3号墳が刀子2で、2号墳の周溝からは土師器が
検出されました。また5号墳には、良好な保存状態の人骨1体(男)が
埋葬されていました。4世紀後半から5世紀ごろにかけてつくられた古墳群で、
久里双水古墳の築造につづく人々の墳墓と考えられます。
こちらには5号墳の石棺を移設して展示しています。
云々。。。
![久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市]](https://blog-imgs-84-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/kurisouzui-kofun-7.jpg)
発見当時の久里双水古墳。
===
発見
久里双水古墳は、唐津市双水字サコ2776-1番地にあり、
昭和56年4月に労働者住宅生活協同組合の宅地造成事業に伴い、
前方後円墳であることが確認されました。大型の前方後円墳なので
保存されることになり、造成工事や県道の範囲から外されることになりました。
昭和63年1月に市の史跡に指定され、平成元年3月に公有化を実現しました。
同年8月に地下レーダー探査による遺構保存状態の調査を行い、
平成3年度から3年間、古墳前方部、古墳後円部、古墳墳頂部の
範囲確認調査を実施しました。
云々。。。
![久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市]](https://blog-imgs-84-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/kurisouzui-kofun-6.jpg)
石室を覆う3枚の天井石。
===
調査
この確認調査によって、全長108.5m、後円部62.2m、前方部幅42.8mで、
墳丘築成は後円部と前方部下半部が地山掘りだしで、前方部上半部が
盛土の自然地形を利用した特異なものであり、しかも年代が4世紀前半まで
さかのぼる可能性があることがわかりました。
平成5年度の確認調査により、後円部墳頂に隅丸長方形の粘土でおおわれた
石室が発見されました。
平成6年の調査は、遺存状態をファイバースコープによって確認し、
粘土被覆された竪穴式石室を調査しました。
云々。。。
![久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市]](https://blog-imgs-84-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/kurisouzui-kofun-5.jpg)
発見された後円部石室。
![久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市]](https://blog-imgs-84-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/kurisouzui-kofun-9s.jpg)
![久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市]](https://blog-imgs-84-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/kurisouzui-kofun-10s.jpg)
![久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市]](https://blog-imgs-84-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/kurisouzui-kofun-11.jpg)
===
石室
粘土に覆われた石室は、砂岩製の天井石3枚で密閉されていました。
内径は、長さ約2.5m、幅0.9m、高さ1.0mの竪穴式石室でした。
床面には、両端が反り上がった特異な形の、断面がU字型の粘土床が
見つかりました。石室は、砂岩や玄武岩の板石を、粘土と交互に積み上げたもので、
壁や天井石の裏には一面に赤色顔料が塗られていました。
粘土床から、前方後円墳では例のない、
舟形木棺であった可能性も指摘されています。
云々。。。
![久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市]](https://blog-imgs-84-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/kurisouzui-kofun-8.jpg)
久里双水古墳から出土した遺物。
===
副葬品
石室から鏡1、碧玉製で長さ7mm~9mmの管玉2と、石室上端の天井石の間から
刀子1が見つかりました。
鏡は後漢の「盤龍鏡」で、粘土床の埋葬頭位側にあたる部分から出土しました。
径12.1cm、縁の厚さ1.2cmで、龍と虎が向かい合う文様が描かれています。
縁は鋸歯文様が2列並ぶ平縁になっていて、乳(珠文)と呼ばれる小さい突起や
「子」の銘も認められました。
刀子は、長さ7.0cm、幅1.3cmの小型のもので、発見位置から埋葬にかかわる
祭祀にもちいられたものと考えられます。
唐津は、弥生時代より中国大陸の門戸でした。
「盤龍鏡」は、末盧国が最後に直接入手した文物と考えられます。
この盤龍鏡からも、被葬者の姿がみえてくるようです。
云々。。。
![菜畑遺跡。[佐賀県唐津市]](https://blog-imgs-84-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/nabatakeiseki-1.jpg)
来たっ、ついに来たっ、
日本最古の稲作発祥の地へ!!
佐賀県唐津市にある「菜畑遺跡」ですっ!
=== 案内板より ===
国史跡 菜畑遺跡
この地は、昭和56年に発見された「菜畑遺跡」の史跡公園です。
「菜畑遺跡」では、約2600年前、日本で最初に稲作が開始されたことを示す、
水田、農耕具、炭化米が発見されました。
公園内には、展示館(末盧館)、復元水田等が設置されています。
本遺跡は日本文化の成立を考える上でも重要な遺跡です。
この日本の稲作の発祥の地「菜畑」を大切に守って行きましょう。
云々。。。
![菜畑遺跡。[佐賀県唐津市]](https://blog-imgs-84-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/nabatakeiseki-2s.jpg)
![菜畑遺跡。[佐賀県唐津市]](https://blog-imgs-84-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/nabatakeiseki-7s.jpg)
(写真はクリックで大きくなります。)
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末盧館(まつろかん)
日本古代の高床倉庫をイメージして造った建物で、
木造建築の良さを取り入れています。内部は展示室・収蔵庫などからなり、
日本稲作発祥の地-菜畑遺跡-の出土品を展示している歴史博物館です。
云々。。。
![菜畑遺跡。[佐賀県唐津市]](https://blog-imgs-84-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/nabatakeiseki-5.jpg)
===
竪穴住居
菜畑遺跡で発掘調査された住居跡をもとに復原したものです(縄文時代晩期)。
唐津周辺に特徴的な円形型で、弥生中期のものに比べると
やや小型の住居です。
![菜畑遺跡。[佐賀県唐津市]](https://blog-imgs-84-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/nabatakeiseki-6s.jpg)
6本柱で中央に炉跡があり、特徴として
屋根を地にふせたようなカヤ葺の建物です。
云々。。。