![福島県立博物館。[会津若松市]](https://blog-imgs-124-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/fukushimahakubutsu-1.jpg)
というわけで、
新島八重さんの像から徒歩1分。
「福島県立博物館」でありますっ♪
めっちゃ楽しめそぉ。 (=゚ω゚)ノ
![福島県立博物館。[会津若松市]](https://blog-imgs-124-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/fukushimahakubutsu-4.jpg)
エントランスに展示してある「太鼓台」。
トップが天井まで届きそうな、おぉ~っと、見上げるほどの高さですっ。
===
二本松提燈祭竹田町太鼓台
この屋台は、当博物館のシンボル展示の1つとして、
二本松提燈祭竹田町のものを、ほぼ現状通りに製作しました。
二本松提燈祭りは、二本松神社の秋の大祭で、その名の通り多数の提燈が
屋台の上に飾られ、夜の美しさは格別です。
屋台は太鼓台とも呼ばれ、大太鼓・小太鼓・鼓・笛・鉦などが乗り込み、
囃子を奏します。
この祭りが現在のような形になったのは、史料などから
明治の半ば以降のことだろうと思われます。
云々。。。
さぁ、どんどん行きましょう。
![福島県立博物館。[会津若松市]](https://blog-imgs-124-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/fukushimahakubutsu-2s.jpg)
![福島県立博物館。[会津若松市]](https://blog-imgs-124-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/fukushimahakubutsu-3s.jpg)
(写真はクリックで大きくなります。)
=== 案内板より ===
竪穴式住居と複式炉
縄文時代の人びとは、竪穴式住居に住んでいました。
この竪穴式住居は縄文時代中ごろ(約4000年前)のもので、昭和59年に
発掘した塩沢上原A遺跡12号住居跡をもとに作りました。
住居内の炉は12号住居跡から移したものです。
土器を埋めた炉と石組みの炉が組み合わされているので、
複式炉と呼ばれています。このような形の大型の炉は
全国でもたいへん珍しく、本県を中心に東北、北関東、北陸地方などに
分布しています。
云々。。。
![福島県立博物館。[会津若松市]](https://blog-imgs-124-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/fukushimahakubutsu-5.jpg)
===
三貫地貝塚人骨・犬骨埋葬状況
新地町三貫地貝塚の発掘調査は、昭和27年と29年に行われ、
100体以上の人骨が出土しました。この模型は、埋葬状態の一部を
復元したものです。一度葬った人の頭骨13個を円形に並べ、
手足の骨を中央に集めた極めて珍しい埋葬例が発見されています。
手足を折りまげて葬られている(屈葬)男性人骨のそばからは、
犬の骨が出土しました。犬は狩りなどに役立つため、縄文時代から
飼われていました。現在のシバ犬に似ています。
云々。。。
![福島県立博物館。[会津若松市]](https://blog-imgs-124-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/fukushimahakubutsu-6.jpg)
古代から、古墳時代のコーナーへ★
自然とテンションが上がりますっ (=゚ω゚)ノ
中央にいらっしゃる埴輪クンは、
右から、「踊る人」、「盾を持つ人」、「力士」、のお三方。
![福島県立博物館。[会津若松市]](https://blog-imgs-125-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/fukushimahakubutsu-7.jpg)
===
陶棺
やきもので作られたとても珍しい棺で、
東北地方では現在のところ唯一のものです。
云々。。。
![福島県立博物館。[会津若松市]](https://blog-imgs-125-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/fukushimahakubutsu-8.jpg)
「頭椎大刀」、「環頭大刀柄頭」、「鉄地銀象嵌大刀」、
etc。。。
![高瀬の大木。[会津若松市]](https://blog-imgs-124-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/takazenoki-1.jpg)
会津若松市です。
「田村山古墳」に続いてやって参りました、
「高瀬の大木」であります。
![高瀬の大木。[会津若松市]](https://blog-imgs-124-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/takazenoki-2.jpg)
=== 案内板より ===
説明
慶長5年、時の会津藩主上杉景勝が高瀬村に新城の築営を行ったが
完成しないままに現在に至る。
この巨石はここより南方三百米の本丸に慶山村「現・東山町」の山中から
運んだといわれる石垣の基礎石で昭和58年にここに移し
保存するものである。
云々。。。
と、案内板を撮るのに夢中になり、
肝心の基礎石の写真を撮り忘れる也(汗、、、
![高瀬の大木。[会津若松市]](https://blog-imgs-124-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/takazenoki-3.jpg)
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高瀬の大木
慶長年間に上杉景勝が築城した神指城跡の東北隅の土塁上にある。
築城前から既に大木であったことが知られ、根本の周囲12.55メートル、
目通りの幹囲10.45メートル、樹高24.64メートルある。
大枝の折損が相次ぎ、幹部に亀裂が生じてきたが、樹姿はなお堂々としてすぐれ、
ケヤキの巨樹として有数のものである。
云々。。。
未完のお城「神指城」跡に立っているこの大きな木が、
「高瀬の大木」であります (=゚ω゚)ノ
で、神指城とは。。。