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ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

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中国料理 粋圓 suien。July. 2020 [足利市]

久しぶりの外食となった今夜です。
中国料理 粋圓 suien」さんにお邪魔しました☆

カウンター、一番左の席。メダカくんの前辺りw
香りの良い生ビールからスタートです。



中国料理 粋圓 suien。July. 2020 [足利市]

「前菜盛り合わせ」は、手前から
ほっこりかぼちゃサラダ、大山鶏白レバーのコンフィ、鰯のマリネ、
湯上り娘紹興酒漬け、よだれ鶏、の5点。

野菜、お肉、魚、とバランスの良い前菜です。
どれも手がこんでいるなぁ。



中国料理 粋圓 suien。July. 2020 [足利市]

「自家製春巻」。
辛子醤油でいただましょう。
アツアツほくほくパリパリの安定のお味♪
お酒は芋焼酎のロックにチェンジです。



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飯塚古墳35号墳。[小山市]

小山市にある「飯塚35号墳」です。
摩利支天塚古墳の前の道を西に向かったT字路のところです。



飯塚古墳35号墳。[小山市]

=== 案内板より ===
飯塚35号墳(史跡)
この古墳は、飯塚古墳群の中の1つで、後円部の径約31メートル、
高さ約4.5メートル、全長40メートルを越す前方後円墳である。
墳丘の裾の部分で、北側は道路により、
南側と西側は建物を建てる際に削られており、周囲から埴輪や
土師器の破片が採集されたこともあるが、古墳自体が雑木や竹で
覆われていたため墳丘内部の保存状態は比較的良好である。
墳丘の南側に石室のものと思われる石が出土しており、
内部は横穴式石室と考えられる。



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摩利支天塚古墳。[小山市]

「琵琶塚古墳」に続いてやって参りました、
摩利支天塚古墳」です。
in 小山市。



摩利支天塚古墳。[小山市]

墳頂にある神社さんは「摩利支天尊神社」です。



摩利支天塚古墳。[小山市]

後円部より前方部を見る。


=== 案内板より ===
史跡 摩利支天塚古墳
摩利支天塚古墳は、隣接する琵琶塚古墳とともに
県内で最大の規模を誇る大形の前方後円墳です。
後円部の墳頂には後年になって摩利支天社が祀られ、今に至っています。
墳丘は自然の微高地を利用して築かれたもので、
その周囲には幅20mを越える大規模な周湟がめぐらされています。
この周湟は調査の結果、部分的に二重になっていることがわかりました。



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琵琶塚古墳。[小山市]

小山市にある「琵琶塚古墳」です。
「摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館」の、道路を挟んで向かいにあります。



琵琶塚古墳。[小山市]

墳丘の長さが約124.8メートルの、
栃木県内では2番目の大きさを誇る前方後円墳です。
下毛野地域を代表する首長墓と考えられています。



琵琶塚古墳。[小山市]

古墳の周りを巡る溝も、
ハッキリと確認できますねー。



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摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館。[小山市]

小山市にある「摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館」です。
摩利支天塚古墳、琵琶塚古墳、そして飯塚古墳群の資料や
遺物が展示されています。



摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館。[小山市]

=== 案内板より ===
姿を現した県内最大級の前方後円墳
~巨大古墳が決定づけた地域の物語~

飯塚地区は南で思川と姿川が合流し、北には(旧)東山道が経由する。
こうした交通・経済の要衝を抑えて、沖積地に突出した微高地上に築かれたのが
「摩利支天塚古墳」「琵琶塚古墳」である。これらの古墳を築いたのは
①地元の思川・姿川合流点を抑えた勢力(桑57号墳や成沢遺跡)、
②思川下流の沖積地に寒川古墳群を築いた勢力、
③宇都宮に大型前方後円墳(笹塚・塚山古墳)を築いた勢力の
3つの候補が挙げられる。

現在の研究ではまだ結論はつけがたいが、摩利支天塚・琵琶塚古墳の築造後、
栃木県の大型古墳は思川と姿川に挟まれたこの台地上に築かれることになり、
名実共にこの地が古代下野国の中心となるのである。
云々。。。



摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館。[小山市]

===
摩利支天塚古墳 5世紀末~6世紀初頭
墳丘長120.6m、総長約197mの栃木県最大級の前方後円墳。
盾形の二重周溝を有し、墳丘前方部及び前方部側の周溝・周堤が突出する
「剣菱型前方部」と呼ばれる特異な形態を示す。


摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館。[小山市]

摩利支天塚古墳は琵琶塚古墳の史跡指定から約50年後、
昭和53年に国史跡に指定され、琵琶塚古墳の調査に続いて
昭和55~57年にかけて範囲確認のための発掘調査が実施された。
この発掘調査において、前方部の墳丘や周辺の調査・現状の地籍から
前方部が「剣菱型」と呼ばれる特異な形態の古墳であること、埴輪が
琵琶塚古墳より古い様相を示すことが確認され、
築造時期が5世紀末~6世紀初頭と確定された。
平成25年には琵琶塚古墳と合わせて測量調査がなされ、
周堤の遺存状況や周辺の地形がより詳細に確認されている。
云々。。。



摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館。[小山市]

===
琵琶塚古墳 6世紀前葉
墳丘長124.8m、総長は200mを超える栃木県最大級の前方後円墳。
西は墳丘と相似形、東は盾形の二重周溝を有する。
墳丘1段目には幅広い平坦面が巡り、「基壇」をもつ古墳の初源と考えられる。

大正15年の国史跡指定後、初めて発掘調査が行われたのは
昭和53年のことである。
翌54年にかけて行われた調査により、墳丘や周溝の規模が把握されて
史跡指定範囲の拡大がなされる(昭和56年)と共に、
築造時期が6世紀前葉と確定された。

平成2年には摩利支天塚古墳との間を抜ける市道221号線の
拡幅に伴う発掘調査により周溝の範囲確認が行われている。
史跡整備事業の一環として実施された調査(平成25~29年)では
古墳の遺存状況と共に周堤・周溝の範囲確認がなされ、
整備事業の基礎資料が得られている。
云々。。。



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Beyond Crona/近藤等則×石坂亥士。[桐生市*有鄰館煉瓦蔵]

近藤等則×石坂亥士/即興セッション!!!
いきなりのビックネームの登場です。
どういう経緯でこの組み合わせが実現したのか知る由もないが、
世紀のグルーブを聞き逃す手はないっ。
さぁ、みんなで行ってみよー☆


「Beyond Crona/近藤等則×石坂亥士」
日 時/2020年7月25日(土) 開場18:30、開演19:00
会 場/桐生市有鄰館 煉瓦蔵
料 金/前売り4000円、当日5000円(小学生以下無料)
ご予約・お問合せ/ishizakagaishi@gmail.com

お名前、連絡先を明記の上、お申し込みください。
ご予約完了の返信メールにてご予約完了とさせていただきます。
当日券の設定もしていますが、コロナ対策として、
入場者100名までという規制があり、
予約状況によりますが、当日券が出せない場合もあることをご了承ください。




以前の記事はこちらから。
立春大吉 2020 Gaishi Ishizaka Solo、にて。[桐生市*有鄰館煉瓦蔵]

【桐生市 有鄰館 煉瓦蔵】
@群馬県桐生市本町2-6-32

赤堀茶臼山古墳。[伊勢崎市]

2回目のチャレンジでどうにか到着しましたっ。
以前よりチェックしていた古墳です。

赤堀茶臼山古墳」。in 伊勢崎市。



赤堀茶臼山古墳。[伊勢崎市]

こんもりとした丘のようにしか見えませんが。
いやいやどーして、こちらの古墳からは、
当時の豪族の館とも云われる家形埴輪が8棟も出土しています。
ヒジョーに有名な古墳であります。



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天幕城跡。[伊勢崎市]

伊勢崎市にある「天幕城跡」にやって参りました。



天幕城跡。[伊勢崎市]

天幕城跡。[伊勢崎市] 天幕城跡。[伊勢崎市]
(写真はクリックで大きくなります。)

紫陽花が咲いていたりして、ナニゲに癒されます♪

ささ、参りましょう。



天幕城跡。[伊勢崎市]

=== 案内板より ===
天幕(てんばく)城跡
天幕城跡は南北400m、東西120mの自然地形を利用した城で、
西側は蕨沢川が流れ、北と東側は蕨沢川の旧河道の低地で
城外と距てられている。
本丸の北、西面には今も高さ4m程の土居を残している。



天幕城跡。[伊勢崎市]

本丸を中心とした部分に、腰曲輪、水の手曲輪、堀切り、
矢払い等の軍事的な構造が顕著に見られる並郭城で、
戦国時代の赤城南麓諸城の特徴を良く現し、かつ、その姿を留めている。



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乙女不動原瓦窯跡。[小山市]

=== 案内碑より ===
国指定 乙女不動原瓦窯跡
昭和53年5月11日指定

本瓦窯跡は奈良時代に下野薬師寺を始めとして
当地域の重要な寺院に瓦を供給した造瓦所であります
本瓦窯跡は昭和52年の確認調査から4基の窯跡、灰原、工房跡、
住居址が発見されています
平成元年の発掘調査により窯は平窯(ロストル窯)で
瓦専用の窯であることがわかりました
現在は面積6125平方メートルが国指定史跡として現状保存されています
云々。。。



乙女不動原瓦窯跡。[小山市]

以前よりチェックしていたスポットです。
小山市にある「乙女不動原瓦窯跡」にやって参りました。

古代の瓦生産工場の跡です。
ここで造られた瓦は、下野薬師寺や下野国分寺に使用されたと云います。



乙女不動原瓦窯跡。[小山市]

乙女不動原瓦窯跡。[小山市]

===
平窯跡
平窯構造をもつ4基の窯は、谷から吹き上げる風を利用できるように
台地の縁辺部に並んでいます。
隣り合う2基1対の操業が考えられ、
次々と瓦の焼成が行えるよう工夫されています。
云々。。。



乙女不動原瓦窯跡。[小山市]

乙女不動原瓦窯跡。[小山市]



乙女不動原瓦窯跡。[小山市]

乙女不動原瓦窯跡。[小山市]

===
灰原跡
窯からでる灰をかき出した場所で、
窯溝築時の排土や瓦片の混じる灰が堆積しています。
土中からは寄生虫の卵が検出されており、
工人達が作業の合間に用を足したこともあったようです。
云々。。。



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長良神社。[太田市]

太田市飯塚町にある「長良神社」です。

長良神社は藤原の長良さんをお祀りする、
館林や邑楽郡に多くみられる神社さんです。



長良神社。[太田市]

こちらの神社さんの鳥居の側には、なんと、
「埴輪武装男子立像」が建っています。

もちろん、レプリカでありまして、
国宝に指定されているホンモノは、国立博物館の所蔵であります。



長良神社。[太田市]

向って左から。



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お宝のテンコ盛りでした「米沢市」。
しかし~、楽しい時間が経つのはあっという間で、
すでに帰路に着いているわけであります。

東北自動車道、「安達太良SA(上り)」で小休止 (=゚ω゚)ノ
in 福島県。

そして、
どこからか聞こえてくるあのテーマソング♪。。。



安達太良SA(上り)にて。February. 2020 [福島県本宮市]

セブン~、セブン~、セブン~、セブン~、



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古志田東遺跡。[山形県米沢市]

山形県米沢市です。
「一ノ坂遺跡」に続いてやって参りました、
古志田東遺跡」です。

と、案内版が、ブ厚いビニールとロープでガードされてますねー。
雪対策か何かかな?
ちょっと見ずらいですけれど、ささ、参りましょう (=゚ω゚)ノ


=== 案内板より ===
古志田東遺跡
古志田東遺跡は、最上川流域の河岸段丘に扇状地が複合した
緩やかな微高地にあり、南北98メートル、東西95メートルの
約8千平方メートルの範囲に広がっており、蛇行した河川に添うように
平安時代の豪族屋敷と膨大な遺物が検出されています。
この遺跡調査は、(財)米沢市開発公社が計画した林泉寺住宅団地造成事業で、
約3千平方メートルを対象に平成11年4~8月に実施されました。


古志田東遺跡。[山形県米沢市]
「古志田東遺跡復元想定図」。

屋敷は、大型掘立柱建物「母屋」を中心に西と東に各2棟、
南北に各1棟の計7棟で構成されています。
河川跡には丸木橋や東西の船着場、船を留める施設などが付随しています。


古志田東遺跡。[山形県米沢市] 古志田東遺跡。[山形県米沢市] 古志田東遺跡。[山形県米沢市]
「木製品「挽き物」類」、「木簡類」、「物差し(高麗尺)」。

出土した木製品は、61点の木簡をはじめ、椀・皿等の挽物類、
鍬・横槌等の農具類、鐙・独楽・弓・曲物等の日常品類が含まれます。
木簡は、多くの労働者を動員した記録簡や米の種子札、
大名「有宗」を記した公文書の断片などの貴重な内容が記されています。
土器は、須恵器・土師器・赤焼土器の食器を中心に約4万点が出土しています。
その半数を占める赤焼土器には、
樹液等で処理を行った土器が3割ほど含まれています。
墨書土器は約5百点が出土し、東建物を指す「東」や地名を指す「山田」・
「西山田」・「揖保」、吉祥句である「千万」・「伍万」・「吉」などがあり、
全体の7割に記された呪術絵は、祭祀に用いられたと考えられます。
そして、最も注目される遺物が物差しの出土です。
一寸が3.5センチと3.12センチの目盛が片面ずつに刻まれており、
表が高麗尺、裏は唐尺の可能性が指摘されます。
この物差しを建物にあてはめると大型の建物は高麗尺、
他の建物は唐尺に符号することがわかります。


古志田東遺跡。[山形県米沢市]

古志田東遺跡が機能したのは、9世紀前半から10世紀初頭で、
律令体制が衰退する時期にあたります。
遺跡では、大規模な農業経営や運河を利用して交易を行っていたことが
木簡等から知ることができます。
このように屋敷を構築した人物は、
米沢周辺に大きな影響を及ぼしていた豪族と推測されます。
古代から中世にかけての資料は、全国的にも少なく、
特に古志田東遺跡の発見は、東北地域の歴史を解明する上で
極めて重要な遺跡と判断され、平成12年度に国の史跡に指定されました。
同年度に公有地化をはかり、さらに平成14年度に、
遺跡の重要性を広く周知する目的で史跡公園として保存整備を行いました。
云々。。。



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