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ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

2020/07123456789101112131415161718192021222324252627282930312020/09

ワイン食堂 ブーカもりやま。[足利市]

今夜のディナーは「ブーカ もりやま」さんにて。
足利市にあるイタリア料理のお店です。

コロナ対策に配慮された店内。
大きなスピーカーの前のテーブル席に陣取りました。
どこかイタリアLOVEを感じるメニューです(笑



ワイン食堂 ブーカもりやま。[足利市]

先ずは生ビール(小)、そしてグラススパークリング。
喉、かわいてますですっ、ハイ。



ワイン食堂 ブーカもりやま。[足利市]

お通しの「3点盛り」。
生ハムと梨、キノコのソテー、小茄子くん(笑 ?。

あ、それから赤ワインのボトルください。
完全に飲みモードデスネ。



[ワイン食堂 ブーカもりやま。August. 2020 [足利市]]の続きを読む
オクマン山古墳。[太田市]

HANIアプリをやっていると、ゲーム内に良く出てくる「鷹匠埴輪」。
その埴輪が出土した古墳、そして以前より気になっていた古墳です。

オクマン山古墳」、in 太田市の蛇川親水公園内。



オクマン山古墳。[太田市]

=== 案内板より ===
オクマン山古墳(新野脇屋遺跡群)
所在地 太田市城西町
蛇川親水公園を含むこの地域には、
古墳や住居跡からなる新野脇屋遺跡群がありました。
その中で代表的なオクマン山古墳は、
この公園から西に約200メートルの場所にあった円墳です。
古墳が造られた時期は、埴輪の特徴などから、
古墳時代後期にあたる6世紀後半と考えられます。
古墳の発掘調査は、新野脇屋住宅団地造成に伴う調査を含め、
これまでに計3回行われました。墳丘は直径約35メートル、
高さ3メートル弱で、三段に造られていたと考えられます。
この古墳から鷹匠、飾り馬のほか、家・太刀・楯などの形象埴輪が出土しています。
埴輪の配列は下図のようになっていました。
※城西町は平成14年(2002)5月1日に新野町、
脇屋町の各一部が分離独立してできました。

・鷹匠埴輪[市重要文化財 昭和51年(1976)11月16日指定]
この埴輪は左腕に鷹を止め、帽子や大帯を身に着け正装した
身分の高い人物(鷹匠)を表しており、大きさは、高さ147センチメートルです。
当時の鷹狩りの様子と、鷹狩りが支配者層により行われていたことがわかります。

・飾り馬埴輪[市重要文化財 昭和52年(1977)3月29日指定]
この埴輪は轡や鞍で飾られた馬を表しており、大きさは、高さ115センチメートル、
横幅110センチメートルと極めて大型です。
当時、馬は大陸から日本に伝来したばかりで、貴重な存在でした。
この資料は馬が人々により大切にされていたことを物語っています。
平成29年(2017)3月15日
云々。。。



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亀山古墳。[太田市]

太田市です。
ここ「菅原神社」さんです。

「鳥居」から進んで行くと、、、


亀山古墳。[太田市] 亀山古墳。[太田市] 亀山古墳。[太田市]
(写真はクリックで大きくなります。)

「手水舎」と「神楽殿」。

そして隣にある大きな「銀杏の木」。


===
明仁親皇生誕 記念樹
昭和8年12月23日、昭和天皇の第5子として明仁親皇生誕
待望久しい日嗣の皇子の誕生を祝い、この銀杏を記念植樹
銀杏は子孫の繁栄を象徴する樹木とされるが、
村人が唯ひたすらに皇室の繁栄を願い、
日頃敬仰する菅原神社の境内に心を込めて植樹したものと思われる。
末永く暖かくこの成長を見守りたい。
云々。。。



亀山古墳。[太田市]

亀山古墳。[太田市] 亀山古墳。[太田市]

「拝殿」と「本殿(覆屋)」。


亀山古墳。[太田市] 亀山古墳。[太田市]

「境内社」のいろいろと、「八坂神社」、


亀山古墳。[太田市]

今日のお目当ては菅原神社さんではなく、
神社さん後方にある「亀山古墳」です。

5世紀後半頃の前方後円墳と聞きました。



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岡崎麺。[佐野市]

佐野市に明るいドライバーのYさんと向かったのは、ラーメン屋さん♪
青竹手打ち麺のお店「岡崎麺」さん。

インパクトのある黄色い建物。
ちょっと遅めのランチタイムです。



岡崎麺。[佐野市]

入って2つめのテーブル席に陣取ります。

ドライバーさんのお言葉に甘えまして、先ずは瓶ビール、
お通しは「メンマ」。
小皿からはみ出てるくらいたっぷり。なんだかウレシイ(笑

冷たいビールで生きかえりマス。



岡崎麺。[佐野市]

「餃子」。
ちょい厚め皮で、餡もたっぷり。
野菜のねっとりとした旨みが詰め込まれています。
酢ダク、ラー油、ちょこっと醤油でいただきましょうっ。

アツアツで美味し☆
ハフハフ、ですっ。



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名勝 楽山園。[甘楽郡甘楽町]

来ましたっ、「名勝 楽山園」でありますっ。



名勝 楽山園。[甘楽郡甘楽町]

思い起こせば2008年。
この「楽山園」の整備が完了したらいつか来るぞ、と。



名勝 楽山園。[甘楽郡甘楽町]

そして今、この美しい風景が目の前に広がっているわけです (=゚ω゚)ノ
2020年、やったネ。



[名勝 楽山園、その2。[甘楽郡甘楽町]]の続きを読む
名勝 楽山園。[甘楽郡甘楽町]

~現在10年がかりで整備中の「楽山園・
江戸時代初期の池泉回遊様式」が観れなかったのは残念だけど~、
と書いたのが2008年。
こちらの記事です↓
織田家の足跡 その2  甘楽町★武家屋敷

そしてー、
今回ついにやって参りました、「名勝 楽山園」であります。



名勝 楽山園。[甘楽郡甘楽町]

=== 案内板より ===
名勝 楽山園
小幡藩楽山園は、江戸時代に織田氏によって造られた大名庭園です。
楽山園という名前は、「知者ハ水ヲ楽シミ、仁者ハ山ヲ楽シム」
という『論語』の一文から名づけられたと言われています。
藩邸には土塁・からほり・石垣や板塀などがあり、
内郭と外郭によって成り立っています。庭園は園池を中心とした回遊式庭園で、
滝口・中島・枯滝・茶屋が主要な構成要素となっています。
楽山園の西側にある雄川を挟んで、紅葉山、連石山、南に熊倉山
などの山並みを借景として取り込み、豊かな広がりを演出しています。
整備は、絵図や文献資料、発掘調査の成果などを元に復元的整備を行っています。
指定名称 名勝 楽山園
指定年月日 平成12年3月30日
云々。。。



名勝 楽山園。[甘楽郡甘楽町]

「中門(入場口)」より右手に進むと「拾九間長屋」があります。

中はちょっとした博物館です。
それにしても長い長屋です。



名勝 楽山園。[甘楽郡甘楽町]

「小幡藩邸ジオラマ 縮尺 1/50」。



名勝 楽山園。[甘楽郡甘楽町]

===
名勝楽山園の出土品
名勝楽山園の発掘調査で、さまざまな生活用具等が見つかっています。
肥前(伊万里)や瀬戸・美濃製品の碗、皿などの茶碗類。
人形などの遊びの道具類。土器製の焼塩壷。瓦など。
木製品としての井戸の滑車や釣瓶桶など。
金属製品では銭貨、鉄釘、煙管などがあります。
云々。。。



名勝 楽山園。[甘楽郡甘楽町]

===
煙草(たばこ)の伝来
コロンブスが1492年の第一回航海時に、
西インド諸島において喫煙の風習に出会いました。これを契機に、スペイン、
ポルトガル、フランス、イギリスへと伝えられ、そしてフィリピン、中国に伝播しました。
煙草が日本に伝えられたのは、天正年間頃(1573~)と推測されています。
丁度、織田信長が室町幕府を倒し、安土城築城を始めた頃にあたります。
1605年(慶長10)、喫煙が大流行し、数度の禁煙令の公布にもかかわらず、
喫煙の風習は日本人の間に広く浸透しました。
喫煙の方法には、葉巻、紙巻、パイプがあります。日本では当初からパイプを用い、
近代に至るまでパイプとしての「煙管(きせる)」が愛用されました。
云々。。。



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お盆 2020。

2020年、「お盆」です。

午前中の早い時間のお墓参り。
早い時間でも暑いですっ(汗、、、

そして。。。



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羊神社。[安中市]

当時の多野郡吉井町にある(今は高崎市)
「多胡碑」を拝見したのが2008年。
その時から気になっていた神社さんです、「羊神社」。
in 安中市。


羊神社。[安中市] 羊神社。[安中市]

狛犬クンじゃないんですね、やっぱり。



羊神社。[安中市]

=== 案内板より ===
羊神社 御由緒
【鎮座地】 群馬県安中市中野谷1751番地
【御祭神】 天児屋根命 多胡羊太夫藤原宗勝公
【境内社】 「多胡宮羊太夫宗勝神像位」碑
【境内社】 絹笠神社 御祭神 保食命
【境内社】 三峯神社 御祭神 伊弉諾尊・伊弉冉尊
【境内社】 道祖神 御祭神 猿田彦大神
【御鎮座】 江戸時代 延宝年間(1673年~1681年)
【例祭日】 春祭 3月15日  秋祭 10月15日
【由 緒】
縁起書によれば、御祭神、多胡羊太夫藤原宗勝公(通称・羊太夫)は
天児屋根命を祖神とする藤原鎌足公の後胤とされ、
上野国(群馬県)で未の年、未の日、未の刻に生まれたので「羊太夫」と命名された。
御幼少の頃から羊太夫は智勇猛に秀で、類い希なる能力の持ち主であられた。
やがて公卿となられてからは、上野国と奈良の都を頻繁に行き来すると共に、
銅山の開発、養蚕製糸機織りを盛んにするなど様々な日本の産業の礎を築かれた。



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簗瀬城跡。[安中市]

簗瀬二子塚古墳から少しの所です。
簗瀬城跡」にやって参りました。



簗瀬城跡。[安中市] 簗瀬城跡。[安中市]
(写真はクリックで大きくなります。)

本郭と云われる場所には「城山稲荷神社」が建っています。



簗瀬城跡。[安中市]

簗瀬城跡。[安中市] 簗瀬城跡。[安中市]

「拝殿」。



簗瀬城跡。[安中市]

「本殿」は覆屋の中です。



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簗瀬二子塚古墳 ガイダンス棟。[安中市]

安中市です。
簗瀬二子塚古墳」に来ています。

古墳本体を見学した後は、「ガイダンス棟」へ参りましょう。
簗瀬二子塚古墳のことが、より詳しく理解出来る、
至れり尽くせりのミニ資料館です。


簗瀬二子塚古墳 ガイダンス棟。[安中市] 簗瀬二子塚古墳 ガイダンス棟。[安中市] 簗瀬二子塚古墳 ガイダンス棟。[安中市]
(写真はクリックで大きくなります。)

保存整備前全景 → 竹・雑木伐採後全景 → 保存整備完了全景



=== 案内板より ===
簗瀬二子塚古墳
指定種類 : 国指定史跡
所在地 : 安中市簗瀬756番地1他
指定年月日 : 平成30年10月15日
立地
安中市街地の南西方、
碓井川の左岸の中位段丘(原市・安中台地)の縁辺部に位置しています。
古墳付近の標高は約215メートルを測ります。


概要
簗瀬二子塚古墳は、安中市域に初めて登場した大型前方後円墳で、
古墳時代後期初頭(6世紀初頭)に築造されたと考えられます。
この地域一帯を支配した有力者の墓と推測されています。
また古墳の埋葬部分は、横穴式の石室が作られています。
この横穴式石室は、上野地域さらには東国において、
石室が竪穴式から横穴式へと移る最初の頃のものと考えられ、
学術的にとても貴重な古墳です。


墳丘及び外部施設
墳丘は、主軸をほぼ東西(正確にはN-113°-W)に取った
二段筑成の前方後円墳です。
墳丘には上下段とも法面に葺石が張られていました。
下段墳丘の全長は80メートル、後円部径48メートル、前方部前幅63メートル、
上段墳丘の全長60メートル、後円部径32メートル、
前方部前幅約35メートルを計ります。
云々。。。



簗瀬二子塚古墳 ガイダンス棟。[安中市]

墳丘の基壇面上及び頂上部からは埴輪列が確認されています。
墳丘の周囲には盾形の周掘がめぐらされ、その周囲を周堤がめぐり、
その外側に周堤を画するように小規模な溝がめぐっていました。
墳丘外の周掘は一重で、盾形を呈しています。
周掘の外側には周堤が作られ、
さらにその外側に周堤を区画する外周溝が確認されています。
外周溝が全周したと考えると、古墳全体の規模は全長約130メートル、
全幅は約110メートルとなると推測されます。
また基壇面上や周掘の内からは大量の埴輪が出土しています。
この他、後円部頂上に二子塚古墳の発掘の経緯等が記された石碑が、
小森谷啓作氏によって立てられています。
云々。。。



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簗瀬二子塚古墳。[安中市]

「簗瀬八幡平の首塚」に続いてやって参りました、
簗瀬二子塚古墳」であります。

こちらは、安中市にも大きな古墳があるそうですょー、と、
以前よりチェックしていた古墳であります。
石室の壁が赤く染められているのだとか。。。

さっそく参りましょう。



簗瀬二子塚古墳。[安中市]
簗瀬二子塚古墳。[安中市]
簗瀬二子塚古墳。[安中市]

=== 案内板より ===
簗瀬二子塚古墳
◆概要
簗瀬二子塚古墳は、安中市域に初めて登場した大型前方後円墳で、
古墳時代後期初頭(6世紀初頭)に築造されたと考えられています。
この地域一帯を支配した有力者の墓と推測されます。
また古墳の埋葬部分は横穴式の石室が作られています。
この横穴式石室は、上野地域さらには東国において、
石室が竪穴式から横穴式へと移る最初の頃のものと考えられ、
学術的にもとても重要な古墳です。



簗瀬二子塚古墳。[安中市]
簗瀬二子塚古墳。[安中市]
簗瀬二子塚古墳。[安中市]

◆規模
2段築造の前方後円墳で全長約80メートル、後円部径約50メートル・
高さ約8メートル、前方部幅約60メートル・高さ約7メートル、
上野地域の古墳時代後期初頭(6世紀初頭)最大級の古墳です。



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簗瀬八幡平の首塚。[安中市]

夏です。

今日もやって参りました、古墳であります。
と、その前に、お目当ての古墳近くにあったこちらから。
簗瀬八幡平の首塚」であります。

なにやらたくさんの頭蓋骨が納められている遺跡と聞きましたが、
正面の建物がそうですね。。。



簗瀬八幡平の首塚。[安中市]

近くに建つ大きな「供養塔」と、



簗瀬八幡平の首塚。[安中市]

小さな「石祠」。


=== 案内板より ===
簗瀬八幡平の首塚
この首塚は、碓氷川北岸の河岸段丘上に位置する
旧原市町12号墳(円墳)の墳丘に幅1メートル、長さ2メートルの穴を掘り、
そこにおよそ150体分の頭蓋骨を埋めてあったものである。

この首塚は、昭和6年3月10日に墓参りにきた小学生によって偶然発見された。
その後、昭和27年12月に東京大学人類学教室鈴木尚博士によって調査された。
調査の結果、古墳の石室の外側に約150個分に相当する頭骨が山と積まれ、
その上を天明3年(1783)の火山灰がおおっていることがわかった。



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