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ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

2021/01123456789101112131415161718192021222324252627282021/03

三島神社。[太田市]

太田市藪塚、「三島神社」にやって参りました。

歴史が深く、
以前よりチェックしていた神社さんです。


三島神社。[太田市]

三島神社。[太田市] 三島神社。[太田市]

「ご神木」と「狛犬」クン。


=== 案内碑より ===
三島神社改修記念碑
この神社の境内と周りには、縄文時代や古墳時代の住居跡があり、
社殿の下からは子持ち勾玉も出土しています。
これらのことから、ここは古くから信仰の場所だったのかも知れません。



三島神社。[太田市]

三島神社の勧請年代は不詳ですが、新田義重の孫義房が建久年間
(1190~1199)頃伊豆国(静岡県)の三島大社から勧請したと言われています。
また、元弘3(1333)年、新田義貞が鎌倉攻めのため旗挙げをした時、
一族の長岡氏がこの神社に戦勝祈願をしたとも言われています。
その後、新田氏が衰えたため、神社は荒れ果ててしまいました。
寛政4(1792)年、村民が協力して祝詞と幣束を受け復興しました。

平成16年6月社殿の一部を修理した際に、
寛政4年の祝詞や幣束、その他縄文時代の石棒破片、
江戸時代の神鏡など神宝とも言うべき物が出てきました。
これを機会に神社に関係する地域の皆様にご芳志をいただき、
社殿や境内の改修を行いました。これを記念してこの碑を建立しました。
云々。。。



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多々良沼の白鳥。[邑楽郡邑楽町]

前回、ガバ沼で白鳥を見たけれど、
もう少し近くで見てみたいなぁと。



多々良沼の白鳥。[邑楽郡邑楽町]

早朝の多々良沼、「浮島弁才天」にやって参りました。

おぉ~、いますいます☆
水面がところどころ凍っています(汗、
寒そうです~(汗、、、



多々良沼の白鳥。[邑楽郡邑楽町]

白鳥をしみじみと見る(笑。。。



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篠塚伊賀守御廟。[邑楽郡邑楽町*大信寺]

邑楽郡邑楽町の「大信寺」にやって参りました。

なぜこちらのお寺さんなのかと言いますと、それは、
篠塚伊賀守重廣公 御廟」があるから!



篠塚伊賀守御廟。[邑楽郡邑楽町*大信寺]

不動明王様の後ろにある、、、



篠塚伊賀守御廟。[邑楽郡邑楽町*大信寺]

こちらです。

篠塚重広さんというのは、新田義貞さんの側近の武将で、
新田四天王の1人に数えられる方です。
栗生顕友、畑時能、由良具滋、
そして篠塚重広さんの4人だそうです☆


=== 案内板より ===
篠塚伊賀守重廣公 御廟
この御廟にある宝篋印塔には下図のように刻まれている。
智証大禅定門とは篠塚伊賀守の法名である。
暦応3年5月6日(1340年)を命日としているが伊賀守が沖之島に渡ったのが 
興国3年(1342年)を史実としているので矛盾がある。
また、この宝篋印塔は、隅飾が外側へ張り出していることから
江戸期の建立と思われる。



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八幡神社。[邑楽郡邑楽町]

邑楽郡邑楽町の篠塚にある「八幡神社」です。
この辺りには昔、篠塚伊賀守重廣公の館があったと云います。



八幡神社。[邑楽郡邑楽町]

扁額には〝八幡神社〟〝八坂神社〟とあります。
合祀されているのかな?

鳥居のところにある社号標には、
~篠塚城の守護神として八幡宮を城内にまつる~
と、記されていました。



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細谷館跡。[邑楽郡邑楽町]

早朝の邑楽町、
細谷館跡」にやって参りました。

中世豪族の屋敷跡です。
突き当たりにお家が見えますけど何方か住んでいるのかな?



細谷館跡。[邑楽郡邑楽町]

=== 案内板より ===
細谷館跡
細谷館は南北朝時代の正平2年(1347)
新田氏の一族細谷右馬助(うまのすけ)秀国が築造、
その居館としたので右馬助館ともよばれた。
これよりさき秀国は新田義貞に従い、各地に転戦し戦功をあげた。
しかし延元3年(1338)越前国(福井県)での敗戦ののち
上野国に帰り館を営み、9代義長が天正18年(1590)8月
帰農するまで243年間在地武士の本拠となった。
遺構は東西160メートル、南北130メートルに及び、
東面する館跡入口付近より北に延びる県道沿いの塁濠は
中世豪族の屋敷構えをよく伝えている。
云々。。。



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上野国多胡郡正倉跡。[高崎市]

高崎市です。
多胡碑から南に行って程なく。
多胡郡正倉跡」にやって参りました。



上野国多胡郡正倉跡。[高崎市]

法倉の跡と思われる場所に
礎石が配置されているだけなのですが。。。
なんとも素晴らしい遺跡なのでありますっ。


=== 案内板より ===
多胡郡正倉跡
多胡郡正倉跡は、今から1300年ほど前の
奈良時代から平安時代にかけて存在した古代多胡郡の役所跡です。
奈良時代は、律令と呼ばれる法律に基づいた中央集権的な
国家の体制が整った時代です。
この頃、地方行政は国・郡・里の3段階の単位むに編成されました。
711年(和銅4年)、この地に多胡郡が新たに設置され、
郡の役所である郡衙(郡家)も整備されました。



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移築復元古墳 2基。[高崎市*多胡碑のとこ]

多胡碑のとこ、多胡碑記念館の隣に
移築復元された古墳が2つありました。
片山1号墳」と「南高原1号古墳」。



移築復元古墳 2基。[高崎市*多胡碑のとこ]

先ずは「片山1号墳」です。
〝粘土槨古墳(5世紀始)〟と案内されています。


=== 案内板より ===
片山1号墳(上毛古墳総覧吉井町65号)
高崎市吉井町片山117番地より粘土槨を移築

本古墳は、墳形32.6mを測り、周囲に巡る濠跡を含めると
直径約50mを測る円墳となります。
主体部は墳頂中心より南に寄った位置から、
8.8mを測る長大な粘土槨を確認しました。
粘土槨からは小型仿製の内行花文鏡のほか竪櫛(約40点)、鉄剣、鉄鏃、
鉄製斧、石製模造品(斧・刀子・臼玉)、管玉などが出土しました。
築造年代は、4世紀末から5世紀初頭と推定されます。

粘土槨は全長約8.8m、幅約2.0mの墓壙の中に粘土を敷き、
大木を建て半分にして中をくりぬいた割竹形木棺を置き、
更に粘土で包んだものが残っていました。
云々。。。



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多胡碑。[高崎市]

高崎市です。
多胡館跡に続いてやって参りました、
多胡碑 tagohi」であります。

前回ここに来たのが2008年だから、なんと13年ぶり!
こちらの建物の中に展示されています。



多胡碑。[高崎市]

=== 案内板より ===
特別史跡 多胡碑
多胡碑は栃木県にある那須国造(なすのくにのみやつこ)碑、宮城県にある
多賀城(たがじょう)碑とともに日本三碑と呼ばれている古代の石碑である。
また高崎市の山ノ上碑、金井沢碑とともに上野三碑とも呼ばれる。
碑の高さは129センチで、吉井町南部に産出する
硬質の牛伏砂石(通称多胡石)で造られている。



多胡碑。[高崎市]

その書体は楷書体で中国の六朝風(ろくちょうふう)を遺す(のこす)と
いわれており、古くより多くの書家に愛好され、六行八十字の文字の彫りも
味わいあるものとして評価されている。

土地の人は多胡碑を「ひつじさま」と呼び信仰の対象としてまつり、
今日まで守ってきた。また、文面に見える「羊」にちなんだ「羊太夫」の伝説は、
古くから語り継がれて親しまれている。



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多胡館跡。[高崎市]

少しだけ迷いましたが、無事到着です。
この先にお目当ての史跡が待っているのです。
in 高崎市。



多胡館跡。[高崎市]

多胡館跡」ですっ。

雑木林の前にあるこちらの案内と、



多胡館跡。[高崎市]

「土塁」!
史跡は以上ですっ。


=== 案内板より ===
多胡館跡
多胡館跡は、一辺約100メートルの正方形に近い平面形をした館跡である。
ここは、歴史上有名な武将である木曽義仲にかかわる館であった。
木曽義仲の父義賢(よしかた)は一時この多胡館に住み、
義仲は挙兵した後、「上野国の多胡荘は、亡父の遺跡」として、
この地を訪れている。



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