FC2ブログ
ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

2021/02123456789101112131415161718192021222324252627282930312021/04

和処 司。[足利市]

今夜のディナーは「和処 司」さんにて。
足利市にある和食のお店です。

カウンターの右の席に陣取ります。
先ずは生ビール、お通しは「春菊の胡麻和え」と「貝の煮物」です。

司さんの生ビールは「白穂乃香」。
なかなかお目にかかれない限定醸造のビールなのだそうです。
めちゃめちゃクリーミィな泡で、味わいもやわらか。
生き返りますっ。



和処 司。[足利市]

「お刺身盛り合わせ」。
まぐろ、サバ、イカ、ウニ、 etc。。。

盛り付けがとても綺麗なんです~★
ワサビとお塩の他に、イカに南部味噌、
サバにエシャロットのソースが添えられています♪
大好きな寒ブリもありましたっ (=゚ω゚)ノ
大満足のお造りですー♪



和処 司。[足利市]

「ぎんなん炒め」。
大きくてプニプニの銀杏。
塩味がドンピシャです。
この美味しさに、止まらなくなってしまうのは私だけ?



[和処 司。March. 2021 [足利市]]の続きを読む
大谷休泊の墓。[館林市]

館林の多々良沼東側にある「彫刻の小径」。
いろいろな彫刻作品を楽しめる遊歩道です。
ここの末林は江戸時代に防風林として植林されたものなのだそう。



大谷休泊の墓。[館林市]

この辺り一帯は利根川がつくり出した「内陸古砂丘」です。
多々良沼周辺の製鉄に使われた砂鉄が採れた場所ですね。

多々良製鉄と聞くと、もののけ姫を思い出しますねー。
興味シンシン。。。



大谷休泊の墓。[館林市]

そしてこちら。
彫刻の小径から少し行ったところにあります。
大谷休泊の墓」です。



[大谷休泊の墓。[館林市]]の続きを読む
Taupe トープ。[足利市]

足利市にあるフランス料理のお店「Taupe トープ」さんです。

気軽に入れるビストロ屋さん。
コンパクトで可愛らしいお店です♪
ランチタイムにお邪魔しました。



Taupe トープ。[足利市]

さぁ参りましょう(笑
先ずはハイネケン、連れのSくんはノンアルコールビール。
カンパイ (=゚ω゚)ノ



Taupe トープ。[足利市]

ワインもいただきたいので、私はシンプルなAランチ。
欲張りなSくんはメインが2つのCランチです。

「季節のポタージュ」。
かぼちゃです。
なめらかで、ほんのりコクのあるスープです。



Taupe トープ。[足利市]

「サラダ」。
生ハムの乗ったシンプルなサラダです。
塩コショウで野菜をやっつけよう、みたいな感じでしょうか。
大地の恵みをいただきましょう★



[Taupe トープ。March. 2021 [足利市]]の続きを読む
樺崎八幡宮と樺崎寺。[足利市]

足利市にある国指定史跡「樺崎寺跡」にやって参りました。
こちらは境内にある「樺崎八幡宮」です。


=== 案内板より ===
樺崎八幡宮・史跡樺崎寺跡
足利義兼は、文治5年(1189年)、奥州合戦の戦勝祈願のため、
理真上人を開山として、この地に樺崎寺を創建しました。
樺崎八幡宮は、正治元年(1199年)に当地で入寂した義兼を、
子の義氏が八幡神とともに合祀したことに由来します。
以降、樺崎寺は足利氏の氏寺である鑁阿寺の奥の院、そして一族の廟所として
崇敬を集めますが、明治初めの神仏分離令により廃寺となります。
樺崎八幡宮も含めたこの遺跡は、足利氏ゆかりの遺産として大変貴重です。
云々。。。



樺崎八幡宮と樺崎寺。[足利市]

本殿脇にある「赤御堂跡の石段」。

===
赤御堂跡の石段
発掘調査では樺崎八幡宮本殿のすぐ北側で、
義兼がまつられた赤御堂へ上がるための石段が発見されました。
当時は石段の正面にお堂が建てられていたことが推定されます。
義兼は赤御堂のかたわらで生入定したとされ、
本殿床下には義兼の墓標が立てられています。
云々。。。



樺崎八幡宮と樺崎寺。[足利市]

足利義兼公入定の地の案内。
墓標が建っています。



樺崎八幡宮と樺崎寺。[足利市]

神社の前には、樺崎寺の発掘調査の後に復元整備された
浄土式庭園が広がります。



[樺崎八幡宮と樺崎寺跡。[足利市]]の続きを読む
光得寺。[足利市]

出世稲荷神社からすぐです、
光得寺」にやって参りました。
in 足利市。

ずいぶん前に、運慶作と伝わる大日如来座像が発見されたことで
一躍有名になったお寺さんです。


=== 案内板より ====
臨済宗 菅田山 光得寺
寺伝によれば、開山は、鑁阿上人勅諡赤御堂八幡大菩薩(足利義兼公)、
開基は、光得寺殿正義大禅定門(足利義氏公)である。
寺内にある厨子入大日如来座像、五輪塔、寺外墓地地蔵堂の黒衣地蔵は、
開山、開基、足利氏、及び樺崎八幡宮、法界寺に縁のものであるが、
明治時代に当寺に移されたと考えられている。
現在の臨済宗の法系は、元禄年間の中興霊室慧苗和尚以降
伝わったと思われる。
詳細については、明治元年の火災等により古文書を焼失しているため
不明である。



光得寺。[足利市]

というわけで、今回のお目当てはこちらです。
光得寺 五輪塔群」。



光得寺。[足利市]

覆屋の中に19基の五輪塔が保存されています。


===
光得寺五輪塔 19基
これら五輪塔群は、足利氏歴代と足利氏の重臣高氏の供養塔です。
もともと足利氏の廟所である樺崎寺にまつられていましたが、
明治初期の神仏分離令に伴い、法縁のある光得寺に移設されました。



[光得寺。[足利市]]の続きを読む
北関東の緊急事態宣言が解除になってから、
初の外飲みの記事です。
お邪魔したのはずいぶん前の事ですが。。。


TSUMIKI。[足利市]

足利市にある洋食屋さん、
「スパニッシュイタリアンバル TSUMIKI」さんです。

白を基調にした明るい店内。
カウンター、一番右の席へGO→。



TSUMIKI。[足利市]

先ずはシャルドネの白ワイン。辛口のスッキリタイプ。

お通しは「ムール貝」です。
いただきまーす☆



TSUMIKI。[足利市]

「焼きカマンベールサラダ 温玉添え」。
温玉をかるくくずして、トロリとなったのをやっつけよう。
カマンベールも大好き♪
お酒を嗜みますから、野菜はたくさん摂りましょう。



[スパニッシュイタリアンバル TSUMIKI。[足利市]]の続きを読む
祈るのみです。

東日本大震災。2011.3.11。
あれから10年経ちました。


あれから1年。その4 あれから1年。その2

あれから1年。その3 あれから1年。その9 あれから1年。その10

また石巻を訪れてみたい。

午後2時46分。
黙祷。



以前の記事はこちらから。
あれから5年。。。
震災後、1年経ちました。
これ以上、被害の拡大がないように。。。
3月21日(月)の太田駅。
足利市駅。
新桐生駅から末広町、本町界隈。



出世稲荷神社。[足利市]

足利市にある「出世稲荷神社」にやって参りました。
足利義兼さんが勧請したと伝わる、歴史ある神社さんです。



出世稲荷神社。[足利市]

「一の鳥居」と「ご神木」。



出世稲荷神社。[足利市]

「二の鳥居」。

しず~かデス~(汗、



出世稲荷神社。[足利市]

「山門」と「手水舎」。



出世稲荷神社。[足利市]

参道、右手にあった「編織神社」。


=== 案内板より ===
火伏の菅田稲荷
光得寺の東側、城跡や古墳が点在する山腹の菅田稲荷神社は、
正治元年(1199)、源姓足利氏二代義兼の勧請と伝えられ、
出世や養蚕、子供の成長等の神徳で信仰を集めました。
明治時代に門前の雑貨商を訪れた謎の老爺が、毎年旧暦の12月25日に
神社で頒布する「戸司完前」の文字が入った護符を貼れば
火難に遭わないと告げて石段を上り忽然と姿を消しました。
翌年の大火でその通りにした家が焼失を免れたことから
火伏せの通力で知られるようになったと言います。
云々。。。



[出世稲荷神社。[足利市]]の続きを読む
薮塚本町歴史民俗資料館 その2。[太田市]
平瓦(格子文) 8世紀中葉 太田市藪塚町 台之原廃寺出土

薮塚本町歴史民俗資料館 その2。[太田市] 薮塚本町歴史民俗資料館 その2。[太田市]
軒丸瓦 7世紀末~8世紀前半 太田市寺井町 寺井廃寺出土

前回に続いて「薮塚本町歴史民俗資料館」の記事であります。
in 太田市。


=== 案内板より ===
~古代寺院~
古代新田郡には寺井廃寺のほか、台之原廃寺、釣堂廃寺、
東矢島廃寺といったお寺があったと想定されています。
しかし調査があまり進んでいないため、
これら廃寺の全容については明らかではありません。
新田郡家跡の北東に想定される寺井廃寺では、
7世紀後半~10世紀代までの古代瓦が出土していますが、
寺の範囲や建物の配置などはわかっていません。
一方、新田郡家跡の北西に想定される台之原廃寺では基壇が確認され、
8世紀半ば~後半の古代瓦などが出土していますが、
寺の全容についてはわかっていません。
これらの古代寺院がどんな寺であったか、明らかになる日が来るといいですね。
云々。。。



薮塚本町歴史民俗資料館 その2。[太田市]
円面硯(模造品)
円面硯(須恵器の硯) 7世紀後半~9世紀 太田市吉沢町 丸山北窯跡出土



===
~円面硯(えんめんけん)~
古代の役所跡の発掘調査では、
集落遺跡などに比べると出土遺物の全体量は多くありませんが、
文具関係の遺物が出土することがあります。
例えば須恵器で作られた円形の陸を持つ硯(円面硯)は、
文書をあつかうことが多い役所の遺跡ならではの遺物であるといえます。
当時、紙が普及する前は短冊状の木の板(木簡)に文章をしたためていました。
新田郡家では木簡は見つかっていませんが、円面硯の破片が出土しています。
云々。。。



薮塚本町歴史民俗資料館 その2。[太田市]

薮塚本町歴史民俗資料館 その2。[太田市]
新田郡家跡全体模式図


===
~上野国新田郡家跡~
新田郡家跡は現在の太田市天良町・新田小金井町にあった、
7世紀後半~9世紀代の上野国新田郡の役所跡(郡家(ぐうけ)・
郡衙(ぐんが)とも呼ぶ)です。
これまでの発掘調査で、郡庁や正倉院が確認されました。
政務を執り行っていた郡庁は、「庁屋(正殿)」を中央やや北寄りに配置し、
東西南北を長屋建物が「口」の字状に囲む構造であったことがわかりました。
一方、正倉院は幅約5mの外周区画溝(堀)によって囲まれた、
東西270~500m、南北240~300mの広大な平面台形状の区画の中に、
税として徴収した稲などを保管するための倉(正倉)などの
建物が建ち並んでいたことがわかりました。
現在、郡庁域と北西部正倉域が国の史跡指定を受けています。
云々。。。



[薮塚本町歴史民俗資料館 その2。[太田市]]の続きを読む
薮塚本町歴史民俗資料館。[太田市]

太田市藪塚にある「歴史民俗資料館」にやって参りました。
温泉街の中にある小さな博物館です。
入館料100円を支払って、ではでは。



薮塚本町歴史民俗資料館。[太田市]

群馬県内では珍しいという「陶棺」、
先ほどの「三島神社」から出土したという「子持勾玉」が
出迎えてくれます。



薮塚本町歴史民俗資料館。[太田市]

そして、こちらの資料館の目玉と言えば、
やはり「石田川式土器」ではないでしょうか?

↓この遺跡から出土した土器類です。
石田川遺跡。[太田市]



薮塚本町歴史民俗資料館。[太田市]

=== 案内板より ===
移住する
石田川式土器は、昭和22・24(1947・1949)年のカスリーン台風・
キティ台風後の治水対策として、昭和27(1952)年に
石田川・米沢川で実施された堤防構築工事のときに発見されました。
群馬大学尾崎喜左雄教授の指導のもと、群馬大学史学科学生であった
松島榮二氏や、当時藪塚温泉の今井旅館の経営者であった
今井新次氏によって調査が進められました。
これらはその時に出土した土器です。

その後、これらの土器は北関東地域における古墳時代前期の指標として
考古学研究上、特筆すべき資料であると位置づけられました。
また、この土器群の関東地方における分布状況から、
東海地方西部からのヒトの移住といったようなことも含めた
文化の伝播が想定されるようになりました。
云々。。。



[薮塚本町歴史民俗資料館。[太田市]]の続きを読む