日立市にある「御岩神社」にやって参りました。
朝、早く、すっごいさぶいぃ~~。。。
しかし、この白い「鳥居」は印象的ですねー。
白いのは初めて拝見いたしました。
スゴイな。。。
この鳥居の手前にあった
「阿夫利社」と「弁天社」。
こちらはなんなんだろ?
絵馬殿のような、境内図にあった「祓戸神社」かな。
うむむ。。。
参道左手ら「愛宕神社」。
ちっちゃい祠です。
そしてこちらがご神木の杉です。
「三本杉」と言うそうです。
=== 案内板より ===
御岩山の三本杉
この三本杉は、地上約3メートルのところから3本の幹に分かれ、
それぞれが直立かつ均等に伸びています。
目通り幹囲は8.4メートル、樹高は39メートル、
枝張りは東西南北へ7~8メートルで、市内最大、県内有数の
全国的にも優れた杉です。
三本杉の3幹は根元から1株が分かれたのか、
3本の株が成長にしたがい根元で癒着したのかはっきりしません。
なお、三本杉には伝説があり、昔、この木の三叉のところに
天狗が棲んでいて、近所の人々や御岩神社への参拝者に恐れられていたことから、
「天狗杉」の異名を持ち、樹齢500年以上と推定されています。
云々。。。
三本まとまって、太い胴まわりです。
見上げるとこんな感じ。
そして「楼門」。
ここまでのアプローチで、期待感も高まり
なんだかワクワクです♪
===
御岩神社は太古 天つ神の社〝賀毘の礼の宮〟として祀られ
「常陸風土記」「三代実録」「延喜式」等にも記された古社で
御岩・賀毘礼・斉の三社を中心に百八十八柱の神々が
この深山幽谷・巨樹老木欝蒼と茂る広大な神域に鎮座しています。
また山頂奥の宮の岩場は祭祀遺跡を有し日本最古の石版の発見など
東国の高天原伝説を秘めた まさに常陸最古の霊山と称される
神山でもあります。
中世よりは神仏混淆の霊場とされ江戸時代に至っては
寛永7年初代水戸藩主徳川頼房公が出羽三山をこの地に分霊し
水戸領の三山として隆盛を極め 藩主代々参拝を常例とする
祈願所と定めました。
特に徳川光圀公は明暦3年奥宮の賀毘礼神宮にて
大日本史編纂祈願「筆初めの儀」を斉行し
神地百八十九町を寄進され水戸藩直轄の社として
領内は勿論 遠く江戸・下総・上総方面よりの信徒も多く
境内にニ十一の神社寺院を有す「御岩山大権現」の
大きな聖域を形成していました。
幕末より明治維新にかけての神仏分離令により
神社としての純粋な形を保つために
大日堂・観音堂・念仏堂・楼門等すべて取り払われ
「御岩神社」と改称されましたが
今日でも多くの仏像等 信仰は勿論
指定文化財としても尊崇をあつめ 仁王像も去る昭和54年
氏子崇尊者の熱意により修復元し 実に百ニ十年ぶり
御岩山の守護神として立ち上がることが出来ました。
云々。。。
今だ、お寺さんだった頃の名残が
至る所に見ることが出来ます。
「賀毘礼神社・御岩神社 江戸時代絵図」。
天保12年のもののようです。
賀毘礼神社、薩都神社の他にも、
御岩山大権現大日堂、別当二階堂家、阿弥陀仏坐像、百観音堂、
常念仏堂、大仁王門、水戸藩御役所、などが記されています。
さらに行くと。。。
「斉神社」です。
ここでは仏事である「回向祭」が春と秋に行われています。
神仏混淆の名残ですねー。
で、いらっしゃるのが阿弥陀如来像と、
大日如来像。
こちらは厨子の中かな?
ご開帳されていないなー。
斉神社のすぐ脇にあった「蓮華台」。
かつてここには、3メートル近くの高さの
大日如来像があったそうです。
幕末、水戸藩の命により、海防のための大砲鋳造のため
回収されてしまったのですね。
う~ん、歴史だなぁ。。。
おおーっ!
「御岩神社」が見えて参りましたョ♪
うむむ!
以前の記事はこちらから。
○ 日立で一杯飲りました♪ 日立市★居酒屋 海楽 kagura
御岩神社
@茨城県日立市入四間町