
足利清風高校の北側に小さな神社があります。
「平石八幡宮」です。

神社が建っているこの場所は、
かつて「智光寺」という大きなお寺さんがあった所。
4代目足利氏当主、足利泰氏さんが隠居していたお寺さんです。

=== 案内碑より ===
智光寺跡
智光寺は足利泰氏が文永2年(1265年)この地に立てた寺であるが、
寺運は次第に衰え、江戸後期に火災にあって全滅し、
今はこの平石八幡宮を残すのみである。
1965年前沢輝政の発掘調査により浄土庭園型式の真言宗の寺で、寺域は
この神社を北隅としておよそ東西200米、南北300米にわたることが確かめられた。

泰氏は建保4年(1216年)足利義氏の次子に生れた。
母は北条泰時の女である。
足利氏の家督をつぎ鎌倉幕府に出仕し、
22才で丹後守から宮内少輔正五位下に進んだ。
北条時頼の女を妻としたが36才の時出家して證阿と号しこの地に隠れ
平石殿と呼ばれた。

鑁阿寺南大門で武者行列を挙行し足利氏の威風を示した。
これが現在の鎧年越のおこりである。
文永7年(1270年)55才で没した。法名を智光寺殿という。
云々。。。
平石八幡宮は、消滅してしまった智光寺の
唯一残っている遺構。
清風高校も含めた広い場所にあった
大きなお寺さんたったのですねー。
以前の記事はこちらから。
○ 節分、鎧年越。yoroi-toshikoshi [足利市]
【平石八幡宮】
@足利市山下町
大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )
=== もうひとつあった案内より ===
平石八幡宮
由緒・沿革
当社は、平石七堂といわれるものの一つで文永6年(西暦1269年)
足利宮内少輔泰氏が自分の守り本尊である、阿弥陀如来を本尊として
智光寺を建立し、その境内の一角に源氏の守護神である八幡大神を
鎌倉八幡宮より勧請し源氏の繁栄を祈念したのが起源である。
その後、幾多の変遷を経て来たが、現存する建造物のうち、
本殿は享保5年(西暦1720年)に建てられたものであり、大正6年には
拝殿及び境内地の整備が行われ、現在に至っている。
云々。。。