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前橋市総社歴史資料館。[前橋市]

前橋市総社歴史資料館」です。

宝塔山古墳と蛇穴山古墳のちょうど間にあります。
以前よりチェックしていた博物館なんです。
ようやく来れた~♪



前橋市総社歴史資料館。[前橋市]

入口よりすぐに、「遠見山古墳の形象埴輪」、


前橋市総社歴史資料館。[前橋市] 前橋市総社歴史資料館。[前橋市]
(写真はクリックで大きくなります。)

「遠見山古墳の円筒埴輪」等(左)、
「舞台1号墳の石製模造品」と「供物を乗せた高坏」、



前橋市総社歴史資料館。[前橋市]

保渡田八幡塚古墳、遠見山古墳、舞台1号墳の、出土品が展示されています。

その奥に、
「山王廃寺 塔心礎」の模型です。
壁面に張り付いていますねーっ(笑
実物大でしょうか?かなりの大きさです (=゚ω゚)ノ



前橋市総社歴史資料館。[前橋市]

そしてこちらは、先ほど見てきた「宝塔山古墳」の石室の模型。

正面から「羨道」。



前橋市総社歴史資料館。[前橋市]

突き当たりに位置する「玄室」。
その中に納められた「家形石棺」。
玄室の天井や壁には漆喰が塗られていた痕があります。

とても精巧に出来ている模型です。わかりやすい★



前橋市総社歴史資料館。[前橋市]

玄室の手前にある部屋を「前室」といいます。
副葬品などが置かれていました。



前橋市総社歴史資料館。[前橋市]
遠見山古墳の「円筒埴輪」と「馬型埴輪」(右)。
王山古墳の「大刀形埴輪」と「胡籙(ころく)金具」。


=== 案内板より ===
東国の雄 総社古墳群
古墳時代「上毛野」と呼ばれた群馬県は、屈指の古墳王国と言われます。
昭和10年の調査では、群馬県内で8423基の古墳が確認され、
現在は13000基以上に上ると推定されています。
その量ばかりでなく、古墳の規模や豊かな副葬品にみられる質も卓越しており、
古墳時代の日本列島を語る上で欠かすことのできない地域と言えます。

その要因の1つには、群馬の地の恵まれた自然環境が挙げられます。
周囲を高い山々に囲まれ、山地から流れ出す大小様々な河川は、
肥沃な土壌と豊富な水を運んで平野部を潤します。



前橋市総社歴史資料館。[前橋市]
総社二子山古墳の「頭椎大刀(かぶつちのたち)・復元」。


弥生時代の終わりころから、東海地方からの新たな農業技術の導入によって
平野部の開発が進み、古墳時代以降生産力は飛躍的に向上しました。
このような経済力を背景として、「上毛野」の豪族たちは急速に力を蓄え、
その権威を象徴するような数々の古墳が築かれました。
総社古墳群は5世紀後半から造られ始め、地域の開発と農業生産によって
力を付けた豪族の代々の墓と考えられます。
総社古墳群がどのようにして生まれ、発展していったのか、見ていきましょう。
云々。。。



前橋市総社歴史資料館。[前橋市]
蛇穴山古墳の「石室模型」と「鉄釘」。


群馬県の古墳造りは4世紀から始まって、
最初に東海地方を起源とする前方後方墳、
次いで畿内を起源とする前方後円墳が造られるんですねー。

総社古墳群は、
遠見山古墳→王山古墳→王河原山古墳(消滅)、
総社二子山古墳→愛宕山古墳→宝塔山古墳→蛇穴山古墳の順で
造られて行ったのだそうです。

そして仏教の普及と共に、
次第に古墳から寺院へと変わって行きます。
おぉ~。。。



前橋市総社歴史資料館。[前橋市]
山王廃寺出土の「鬼瓦」や「軒丸瓦」。

===
よみがえる幻の白鳳寺院 山王廃寺
日本へ仏教が伝来したのは6世紀半ばと言われ、
ヤマト王権内での崇仏派と排仏派との権力争いを経て、本格的に仏教が受容されました。
これ以降大和の諸豪族が競って寺院を建立し、畿内一円へ、そして地方へと、
新しい文化である仏教と寺院造営の波が広がっていきました。



前橋市総社歴史資料館。[前橋市]

前橋市総社歴史資料館。[前橋市] 前橋市総社歴史資料館。[前橋市]
「神将像」と「塑像」。


仏教文化が地方へ及ぶ中、最初にそれを取り入れたのは各地の有力豪族でした。
そこで培われた技術によって、次の有力豪族が寺院の建立に着手しました。
寺院という新しい建築様式は、初めて目にする人々を圧倒し、
造営した豪族の権威を強く印象付けたことでしょう。



前橋市総社歴史資料館。[前橋市]
山王廃寺の堂宇の棟を飾る「鴟尾(しび)」。


現在群馬県内では上植木廃寺(伊勢崎市)、寺井廃寺(太田市)、金井廃寺(東吾妻町)など
多くの寺院跡が発見されていますが、山王廃寺は最も古い寺院跡と考えられ、
その規模や内容も他に例を見ないものです。
これは、山王廃寺が総社古墳群に葬られた豪族によって築かれた寺院であることと
無関係ではありません。これまでの発掘調査の成果などから
山王廃寺がどのような寺院であったのか見ていきましょう。
云々。。。



歴史本1冊読んだ以上の情報量ですね。すごいっ。


前橋市総社歴史資料館。[前橋市]

===
山王廃寺の創建と終焉「放光寺」銘瓦の発見
昭和54年の調査では大きな発見がありました。
塔と金堂の中間の場所から「放光寺」とヘラで書かれた瓦が発見されたことです。
この「放光寺」銘瓦以外にも、「放光」、「寺」、「光」と書かれた瓦や、
「方光」のスタンプが押された瓦が、山王廃寺や周辺遺跡から出土しています。
「放光寺」とは、「山上碑」や「上野国交替実録帳」に記載のある寺院の名称で、
山王廃寺の寺院名が「放光寺」であった可能性が高まりました。
「放光寺」銘瓦は、その作り方や胎土から安中市秋間窯跡群で
9世紀に制作されたものと考えられます。
弘仁9年(818)に関東を襲った大地震で損壊した山王廃寺を補修するための瓦で、
瓦の供給先をヘラ書したものではないかと推定されています。
云々。。。



正に古代日本の産業革命ですっ。
仏教の普及と共に、古墳の築造から寺院の建築へ。
それに伴って周りの風景も変わって行きます。

他にも、上野国府、上野国分寺、秋元氏、天狗岩堰用水、
力田遺愛碑、などなど、総社周辺の歴史資料がテンコ盛りでありますっ。
ちょっとした歴史本1冊読んだくらいの情報量ですっ(汗、、、


ヒジョーに魅力的でした「前橋市総社歴史資料館」。
小さな博物館ですが、あなどれませんっ♪
また機会があったら来てみたいなー。
ごちそうさまでした☆



以前の記事はこちらから。
宝塔山古墳。October. 2020 [前橋市]

【前橋市総社歴史資料館】
@群馬県前橋市総社町総社

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