自粛要請期間中に付き、過去記事をアップしています。
ご了承ください。
![細谷館跡。[邑楽郡邑楽町]](https://blog-imgs-141-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/hosoyayakata-1.jpg)
早朝の邑楽町、
「細谷館跡」にやって参りました。
中世豪族の屋敷跡です。
突き当たりにお家が見えますけど何方か住んでいるのかな?
![細谷館跡。[邑楽郡邑楽町]](https://blog-imgs-141-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/hosoyayakata-2.jpg)
=== 案内板より ===
細谷館跡
細谷館は南北朝時代の正平2年(1347)
新田氏の一族細谷右馬助(うまのすけ)秀国が築造、
その居館としたので右馬助館ともよばれた。
これよりさき秀国は新田義貞に従い、各地に転戦し戦功をあげた。
しかし延元3年(1338)越前国(福井県)での敗戦ののち
上野国に帰り館を営み、9代義長が天正18年(1590)8月
帰農するまで243年間在地武士の本拠となった。
遺構は東西160メートル、南北130メートルに及び、
東面する館跡入口付近より北に延びる県道沿いの塁濠は
中世豪族の屋敷構えをよく伝えている。
云々。。。
ご了承ください。
![細谷館跡。[邑楽郡邑楽町]](https://blog-imgs-141-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/hosoyayakata-1.jpg)
早朝の邑楽町、
「細谷館跡」にやって参りました。
中世豪族の屋敷跡です。
突き当たりにお家が見えますけど何方か住んでいるのかな?
![細谷館跡。[邑楽郡邑楽町]](https://blog-imgs-141-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/hosoyayakata-2.jpg)
=== 案内板より ===
細谷館跡
細谷館は南北朝時代の正平2年(1347)
新田氏の一族細谷右馬助(うまのすけ)秀国が築造、
その居館としたので右馬助館ともよばれた。
これよりさき秀国は新田義貞に従い、各地に転戦し戦功をあげた。
しかし延元3年(1338)越前国(福井県)での敗戦ののち
上野国に帰り館を営み、9代義長が天正18年(1590)8月
帰農するまで243年間在地武士の本拠となった。
遺構は東西160メートル、南北130メートルに及び、
東面する館跡入口付近より北に延びる県道沿いの塁濠は
中世豪族の屋敷構えをよく伝えている。
云々。。。
![細谷館跡。[邑楽郡邑楽町]](https://blog-imgs-141-origin.fc2.com/b/e/c/beccan/hosoyayakata-3.jpg)
この辺はS字状の堀跡が見られます。
細谷館跡。
新田氏の分家の方のお住まいのようです。。。
以前の館やお城はこちらから。
○ 菅谷館跡。[埼玉県比企郡嵐山町]
以前の邑楽町はこちらから。
○ ガバ沼の白鳥。[邑楽郡邑楽町]
【細谷館跡】
@群馬県邑楽郡邑楽町大字篠塚