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樺崎八幡宮と樺崎寺。[足利市]

足利市にある国指定史跡「樺崎寺跡」にやって参りました。
こちらは境内にある「樺崎八幡宮」です。


=== 案内板より ===
樺崎八幡宮・史跡樺崎寺跡
足利義兼は、文治5年(1189年)、奥州合戦の戦勝祈願のため、
理真上人を開山として、この地に樺崎寺を創建しました。
樺崎八幡宮は、正治元年(1199年)に当地で入寂した義兼を、
子の義氏が八幡神とともに合祀したことに由来します。
以降、樺崎寺は足利氏の氏寺である鑁阿寺の奥の院、そして一族の廟所として
崇敬を集めますが、明治初めの神仏分離令により廃寺となります。
樺崎八幡宮も含めたこの遺跡は、足利氏ゆかりの遺産として大変貴重です。
云々。。。



樺崎八幡宮と樺崎寺。[足利市]

本殿脇にある「赤御堂跡の石段」。

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赤御堂跡の石段
発掘調査では樺崎八幡宮本殿のすぐ北側で、
義兼がまつられた赤御堂へ上がるための石段が発見されました。
当時は石段の正面にお堂が建てられていたことが推定されます。
義兼は赤御堂のかたわらで生入定したとされ、
本殿床下には義兼の墓標が立てられています。
云々。。。



樺崎八幡宮と樺崎寺。[足利市]

足利義兼公入定の地の案内。
墓標が建っています。



樺崎八幡宮と樺崎寺。[足利市]

神社の前には、樺崎寺の発掘調査の後に復元整備された
浄土式庭園が広がります。



樺崎八幡宮と樺崎寺。[足利市]

寺院跡の背後の山際に並ぶ建物跡。

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多宝塔跡
発掘調査では5.7×5.7mの大きさの礎石建物跡がされ、
14世紀には瓦葺きの建物に改修されていることがわかりました。
樺崎寺の多宝塔は、1226年に4代住持になった
熱田弁僧都重弘により、その父の供養のため建立されたとされています。
云々。。。



樺崎八幡宮と樺崎寺。[足利市]

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供養塔覆屋跡
山の斜面の岩盤を削りだし、平らにしたところに
3×3mの大きさの礎石建物が建てられていました。
お堂の中には義兼の子、義氏の供養塔である
五輪塔が置かれていたと伝えられています。
云々。。。



樺崎八幡宮と樺崎寺。[足利市]

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足利氏御廟跡
発掘調査では南北20.4m、東西6.5mの大きさの基壇が 確認されました。
この基壇の上に五輪塔10基が並べられ、
瓦葺きの覆屋が建てられていたことがわかっています。
10基の五輪塔は足利氏歴代の供養塔で、明治の神仏分離令により
菅田町の光得寺に移され 現在まで大切に守られています。
云々。。。



樺崎八幡宮と樺崎寺。[足利市]

樺崎八幡宮と樺崎寺。[足利市]

奥州合戦の時、
平泉で見た毛越寺や中尊寺などに影響をうけた義兼さんが整備したと伝わる
寺院と浄土庭園。それが樺崎寺。

歴史は深いです。。。



樺崎八幡宮と樺崎寺。[足利市]

大々神楽の案内もありました!

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樺崎八幡宮と大々神楽
樺崎八幡宮は、康平6年(1063)、源義家の勧請と伝えられ、
樺崎寺で生入定した源姓足利氏二代義兼が合祀されて以来
同氏歴代の廟所となり、ばんな寺の奥の院に位置付けられました。
明治時代の神仏分離で樺崎八幡宮として存続が図られ、
その後神社政策により合祀した赤坂宮内の示現神社の神楽殿を移築して
伊勢からもたらされたと言う大々神楽十六座を氏子が奉納しました。
昭和56年(1981)、神楽保存会が発足、平成3年(1991)に神楽殿を一新しています。
云々。。。



以前の記事はこちらから。
樺崎八幡宮と法界寺跡  ★足利市
法界寺(樺崎寺)と樺崎八幡宮 足利市
光得寺。[足利市]

【樺崎八幡宮】
@栃木県足利市樺崎町

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