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大谷休泊の墓。[館林市]

館林の多々良沼東側にある「彫刻の小径」。
いろいろな彫刻作品を楽しめる遊歩道です。
ここの末林は江戸時代に防風林として植林されたものなのだそう。



大谷休泊の墓。[館林市]

この辺り一帯は利根川がつくり出した「内陸古砂丘」です。
多々良沼周辺の製鉄に使われた砂鉄が採れた場所ですね。

多々良製鉄と聞くと、もののけ姫を思い出しますねー。
興味シンシン。。。



大谷休泊の墓。[館林市]

そしてこちら。
彫刻の小径から少し行ったところにあります。
大谷休泊の墓」です。



大谷休泊の墓。[館林市]

=== 案内板より ===
大谷休泊の墓
大谷休泊(おおたにきゅうはく・1521?~1578)は、戦国時代末の人で
平井城主(群馬県藤岡市)上杉憲政の家臣であったと伝えられています。
後年、館林領の成島に移り東毛地方の灌漑、水田開発、植林事業に力をそそぎました。
休泊の開削した用水堀は、休泊堀と呼ばれ渡良瀬川より取水した上休泊堀と
多々良沼より取水した下休泊堀があり、33ヶ村約1000haをうるおしたと伝えられています。
また、当時館野ヶ原と呼ばれていた高根・成島等の台地には、
太田金山から約115万本の松苗を移植し、今もその一部は松林として姿をとどめています。


大谷休泊の墓。[館林市]

農業を生産基盤とする封建社会においては
増収をはかるための用水堀の開削や耕地の拡大は重要な課題で、
休泊の事業は、この時代の社会情勢をよく表していると言えます。
墓は、こうした戦国時代末の東毛地方の社会の様子や、
郷土開拓の歴史を知る上で欠くことのできないものとして、
昭和28年8月群馬県の史跡に指定されました。
云々。。。



大谷休泊の墓。[館林市]

===
大谷休泊紀功の碑
この大谷休泊紀功の碑は、県立つつじが丘公園に建立されているものの複製である。
紀功の碑は、大谷休泊の事績が明治15年3月農商務省の山林共進会で追賞され、
また、つつじが岡公園の復興を機に、休泊の功績を広く世の人々に知らしめ
不朽の伝えんと明治17年5月、郡民(館林・邑楽)によって同公園内に建立されたものである。
この複製は、当時の郡民の意思を継承し、
休泊の偉大な功績をさらに広く理解していただくため、没後415年祭に際し、
この地に建立したものである。
碑文には、休泊が農商務省より追賞されたこと、休泊が事績、
紀功の碑建立の経緯などが記されている。
篆額は伏見宮定愛親王、選文は楫取素彦、書は金井之恭である。
云々。。。


偉人の方のお墓です。



以前の記事はこちらから。
多々良沼の白鳥。[邑楽郡邑楽町]

【大谷休泊の墓】
@群馬県館林市北成島町

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